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大原 諏訪神社 木曽郡木曽町新開大原 30.6.9

 (二桁白星を願う御嶽海の話は抜きにして)上松町に諏訪神社があるのは知っていました。で、「木曽福島町(現木曽町福島)にも諏訪神社はあるか」と調べると、大原(おおばら)にあります。その大原がどこにあるのかと探せば、木曽駒高原別荘地の奥に大原公民館があるのを見つけました。

 その存在を知った『木曽福島町史』では「大原入口にあり・道路端に一対の石燈籠があり」と書いているので、ストリートビューで走ってみました。公民館はとっくに通り過ぎたので、「この道ではないのか」と諦めました。ところが、復路では、ごく自然に燈籠が現れました。

諏方神社参拝 30.6.2

 [諏訪社(大原)]は二ページ半に渡っているので、その一部を(順不同の)小分けにして参拝記に附記してみました。

 大原入口にあり、諏訪大明神を祀る。道路端に一対の石燈籠があり、ここから約六十メートルほど入ったところに境内の広場がある。先年(昭和五十七年)新たに広い道路が設けられたため、木の橋があったのが取り壊されて、昔の面影はなくなったが、鳥居から奥は以前からの参道が残されている。
 由緒、創立は不明である。
『木曽福島町史 第三巻現代編U』〔神社と寺院〕
大原諏訪神社

 春ゼミの合唱が初夏を実感させます。みずみずしい緑に包まれながら入口から続く広い参道に足を任せたら、…通り過ぎてしまいました。少し戻ってから鳥居を仰ぐと、「諏方社」の額がありました。

大原諏訪神社「土俵」 拝礼を済ませてから拝殿の鍵穴を覗くと、…真の闇です。内部の様子を確認できぬまま左方に目を向けると、屋根だけの建物があるのに気が付きました。一瞬、屋外調理場か焼き肉用の施設を思いました。
 フカフカの落葉に沈み込むサンダルを気にしながら近づくと、それを連想させた用途不明の物が伏せてあったのは土俵でした。諏訪神社の境内に土俵があるのは珍しくありませんが、『木曽福島町史』には載っていなかったので戸惑いました。

 拝殿の裏に回り込むと、一壇上に独立した社殿がありました。

上屋殿前の石灯籠には天明二壬寅年(1782)七月吉辰(きっしん)と刻まれている。

 下写真にあるのが、この灯籠です。後述となりますが、この銘によって「すでにあった社殿を寛政四年に再興した」ことがわかったことになります。

大原諏訪神社 「これで本殿の写真は戴き」と近づけば、すべての窓が金網で覆われています。これでは、意識せずとも目的のものにピントと露出を合わせてくれる肉眼では凡その造形がわかりますが、カメラでは網しか写りません。

 次の棟札が現存する。
 《大原産宮/本社棟上/諏訪大明神 寛政四年壬子開秋二十六日…》
 これによると、天明二年(一七八二)にはすでにあった社殿を、寛政四年(一七九二)に再興したものが現在の社殿であることがわかる。社殿上屋は、大正十一年に建立されている。
 本殿は流れ造板葺き、三尺四方、向拝正面に右向きの竜の彫刻を飾る。竜の下に対照的に美しい波の浮き彫りがある。

大原諏訪神社本殿 金網にカメラを密着させると、それが青くボケた亀甲紋として映り込んでいますが、彫刻「目貫(めぬき)の龍」はよく撮れていました。
 次に、その下の貫に梶紋の飾り金具があるのに注目しました。同じものが諏訪大社上社にあったのを思い出したからです。分社に当たって拝領したものと考えてみました。

大原諏訪神社鬼板 本殿の拝観に際しては、大棟の鬼板を必見としています。暗い上に金網が前面に立ちはだかっていますが、網目の一つに何とか入れたその中に「立穀(立ち梶の葉)」が確認できました。正(まさ)しく「諏訪神社」でした。
 本殿の左右にも、破損した小さな祠があります。『木曽福島町史』で読んでいたので、方向から、左が御嶽神社・右が駒ヶ嶽神社とわかりました。ここで、「やはり、ここは木曽の諏訪神社なんだなー」と、独り頷いてみました。

 上屋内には、本殿のほか左右に一尺四方の祠がある。御嶽神社、駒嶽神社を祀る。稲荷大明神も祀ってある。

 稲荷社は、確認できませんでした。

大原諏訪神社「境内社」

 右側が本殿という場所に、覆屋が三棟あります。明治期の神社合併以降の景観となりますから、かつては中央・奥村・中村・下村の各組に祀られていた諸々の祠ということになります。石祠でないのが、如何にも「ここは木曽」を表していました。

諏訪神社の飾り金具

飾り金具
大原諏訪神社space諏訪大社上社本宮「宝殿」

 撮っておいた写真を比較したら、その違いは一目瞭然でした。つまり、分社と本社の違いということですが、私には初めてのケースなので紹介するだけに止(とど)めました。