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代田の諏訪神社「下の宮諏訪神社」 飯田市松尾代田 1.5.25

 鳥居は「下之宮諏訪神社」・拝殿は「下の宮諏訪神社」・覆屋には「諏訪大神」の文字が見られますが、案内板にある名称「下の宮」を採用しました。

 毛賀の諏訪神社を調べる中で、直近に「下の宮諏訪神社」かあることを知りました。その名称から“下社”に対応するのではないかと考えれば、もう巡拝コースに組み入れるしかありません。

下の宮諏訪神社参拝 1.5.8

下の宮諏訪神社

 社頭に、代田(しろだ)区が遷宮五十年記念として平成二十五年に設置した案内板『下の宮諏訪神社由緒』がありました

 御祭神は建御名方神(たてみなかたのかみ)諏訪大明神を祀り、奈良時代神亀二年(西暦725年)諏訪下社より勧請したと伝えられ、旧社は代田・城・毛賀の境で飯田線東側の松・杉・桧の中に社殿があった
 祭事は代田・城・清水の三耕地で行ってきたが、明治十五年七月に時の氏子総代、城の竹村伊三郎・清水の平栗伝次郎・代田の松村源三郎により、村長へ今後は代田耕地で祀る旨を届け出て以後代田耕地のみで祀っていた。
 その後、緑ヶ丘中学校建設のため、昭和三十八年に代田山の現在地に遷宮を行った
 祭典は毎年四月・九月に鳩ヶ嶺八幡宮の祭典日の前日を宵祭りとして区民全員により祭事を行う。
 また、七年に一度(寅と申年)の御柱祭では桧の若木を植樹し、獅子屋台・稚児踊りを繰り出して祭りを盛り上げている。

 案内板のポイントは、「諏訪神社は、昭和の中頃にこの山裾に移転した」とある件(くだり)です。これを読まなければ、「諏訪神社は、古代より代田の集落を見下ろしてきた」と書くところでした。

下の宮諏訪神社

奉納額 拝殿の天井に幾つもの額が見えます。奉納や奉献とある額には、「弓一振」と書いてある通り実物の弓が懸かっていました。
 享和三年(1803)銘がありますから、何れも旧鎮座地の社殿から受け継ぐ形で設置したのでしょう。「金的中」からは、旧地では奉納弓射会が盛んに行われたことが想像できます。「於信州/大関/関脇」は、地元力士が出世を願って奉納したのでしょう。

下の宮諏訪神社本殿 本殿は、覆屋内が暗い上に、その前が格子戸なので詳細を紹介することができません。拝殿と覆屋は比較的新しいので、本殿のみを旧鎮座地から移して安置したと想像してみました。


植樹 「次は知久平」と事前の設定通り鳥居を後にしましたが、「御柱祭では若木を植樹」とあったのを思い出し、再び石段を登るはめになりました。
 社殿右手に、今は褪せた紅白の杭に囲われたものがあり、「式年大祭」の木札を掲げています。若木=細木なのでこの写真では判別できませんが、これが御柱を建てる代わりということになります。

 サイト『minamishinshu.jp』(南信州新聞)から、関係する部分を転載しました。

松尾代田の下ノ宮諏訪神社で御柱祭[2016年 4月9日]
 実行委員長の宮澤直人区長(66)は「旧社に木がなかったので、神社に植樹するという珍しい御柱祭をするようになった」と説明。「前回は御神木を軽トラで運んだが、今回はゆっくり運ぶためリヤカーに乗せ区内を曳いて巡行するかたちを見ていただきたい」と語った。
 御神木は、昨年5月17日に松尾城址公園近くの原義博さんの山林で根回しを行ったヒノキの若木を6日に掘り出し、7日に化粧した。この日は実行委員会の役員ら約30人が午前9時、桜が満開の同公園に集まり、伊原義雄宮司の司式で神事を行った後、御神木をリヤカーに乗せて区内巡行に出発した。
 一行は、午前中に区の上段を回り、お昼に代田公民館へ。午後は下段を巡行した後、同社境内で神事を行い、御神木を植栽した。

下の宮諏訪神社の“旧跡地”は…

 正式名称を確認するために『長野県神社庁』〔神社紹介〕を開くと、「諏訪社/飯田市大字松尾4286」が相応します。間違えては祭神に申し訳が立ちません。念のために確認すると、その番地は案内板に出る緑ヶ丘中学校の北側です。「もしかして」と、諏訪神社と向き合っている代田公民館を調べれば「1791」でした。これで、諏訪神社は現在も旧鎮座地の住所で登録されていることがわかりました。
 「まー、諸般の事情でそうなっているのだろう」と流すこともできますが、次に調べた428番地の中学校とは、隣接地であってもまったく別の区域です。「似た数字なので、4286は428の誤記だろうか」と、持ち前の探究心(お節介)がムクムクともたげてきました。

 国土交通省『国土画像情報』から、航空写真をダウンロードしました。


昭和32年昭和40年

 中学校建設中の写真(左)では、4286番地が案内板の「飯田線東側の松・杉・桧の中に社殿があった」に当てはまります。その8年後には更地になっていますから、「現在地に遷宮を行った」とも合致します。

 これで、神社の移転が中学校建設とは無関係となりました。しかし、これに大声を挙げても、「実は…」と地元だけが知る秘事を挙げて逆襲される可能性があります。そのため、地元民になりきって相応の理屈を考えると、「地権者の意向で、中学校の土地買収が神社の移転とセットで行われた」となりました…。

御射山社

 松尾は、諏訪神社(現諏訪大社)上社と縁が深い旧伊賀良庄です。周辺の諏訪神社二社が御射山社を摂社に持つことから、下の宮諏訪神社にも御射山社があるはずです。しかし、私が手にできる文献にはその記述がありません。

 現段階では、松尾久井にある「御射山獅子塚古墳」の名称から、その近辺に御射山社があると睨んでいます。
 現在その踏査を考えていますが、取りあえずは、その推定地と旧鎮座地を地図に表してみました。