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横田諏訪神社 島根県奥出雲町横田 29.6.15

横田諏訪神社 『島根県神社庁』では、諏訪神社の住所を「674番地」としています。ところが、番地表示のネット地図であっても、神社は表示しません。仕方なく「奥出雲町横田 諏訪神社」で検索を続けると、〔出雲・藤ヶ瀬城(城郭放浪記)〕に「主郭へは公園入口脇の所から堀底道を登るのが本来のルートだと思われるが、諏訪神社から斜面をよじ登るほうが簡単かもしれない」と概説があります。
 クリックすると『城郭放浪記』のサイトで、掲載写真の一枚に諏訪神社があります。しかし、「城郭」が主題なので、私の“諏訪神社放浪記”が求める鎮座地は明らかにしていません。

横田諏訪神社参拝 29.6.4

 藤ヶ瀬城址への道は一車線というので、計画通り、横田庁舎(旧仁多郡横田町役場)の駐車場に車を置きました。スマホの現在位置を確認しながら、果ては宍道湖に注ぐという「斐伊川(ひいかわ)」を渡って藤ヶ瀬城址へ向かいました。
 しかし、「藤ヶ瀬城址の“どこか”にある」が唯一の情報ですから、スギ葉が堆積するこの道でいいのか迷いが生じます。

横田諏訪神社「鳥居」

 「藤ヶ瀬城址」とある標柱から、開ききったワラビをかき分けながらが広場を横切ると、忠魂碑の左方に山道があります。ここで、「いったん戻って、地元の人に確認した方が」とのささやきが大声になりますが、もう少しだけと歩んだ先に、「諏訪神社」とある鳥居が現れました。

横田諏訪神社「社殿」 社殿の規模は写真の通りですが、「なーんだ」というがっかり感はありません。というのも、城址の中にある神社は、かつての城主が命運をかけて崇敬した神社の可能性が高いからです。
 そうは言っても、島根県神社庁登録の宗教法人諏訪神社がこのような有様では、諏訪大社のお膝元から来た私には寂しく感じるものがあります。せめて注連縄が一本だけでも掛かっていれば印象が変わったはずですが…。
 社殿には諏訪神社の証しは見つからず、結局は、鳥居の額束「諏訪神社」が唯一のものとなりました。

横田諏訪神社「遠藤正魔塚」 神社手前のスギの根方に、幣帛の白さで目に付いた「遠藤正魔塚」と読める碑があります。「正徳三年(1713)八月三日」とありますが、もちろん、立ち寄り参拝者では「正魔さんの墓」としかわかりません。“魔”の字に何かの謂われがありそうなので、二枚の写真で持ち帰りました。

 旧横田町だから図書館があるはず、と目の前のコミュニティセンターで尋ねると、中の一室がそうでした。しかし、『横田町誌』の〔宗教神社〕に以下の文があるだけでした。何か抜けていますが、原文のママです。

諏訪神社 建御名方命を祀る。高鍔山(三沢市の居城、藤ヶ瀬城址)に鎮座。永正年間(十六世紀初頭)三沢氏八代為忠が、ここに居城を定めた時、郷里の産土神を勧請したと。境内社に、稲荷神社を祀る。

 ユニークな名前だからネット検索で何か見つかるはずと目論んだ「遠藤正魔」さんは、行方知らずに終わりました。

 『雲陽誌 巻五』の〔仁多郡 横田〕に、面白い勧請の謂われがありました。

諏訪明神 建御名方命なり。永正年中高鍔山藤ヶ瀬の城主三澤遠江守為忠信濃国諏訪の神へ社参して、神前の松を折、此枝我国にさして繁茂せば明神を勧請せんと誓いて帰らむとする時に、虚空より円き石落ちて袖中に入。是すなわち神石なりと崇敬して帰国の後、祠を造、円石奉納して諏訪明神と号せり。さし木の松老樹となり、今なお青々たり。本社六尺に四尺鳥居あり。「大永二年三澤為忠為国建立・永禄二年左京亮為清再建」棟札あり。祭日七月二十七日、此日神座神膳及び清酒を献ず。

大日本地誌大系刊行会 編『大日本地誌大系第27巻』