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『諏方大明神画詞』に見る「諏訪神社上社の晩秋」 21.12.18

 短い文ですが、まだ幣拝殿がない頃の秋が「冬の段」にありました。小坂円忠が作成した文を六条中納言が「清書した」ということですが、後半の「砌…」からの部分は、中納言のインスピレーション(助言)で「都人・源有光」の感性が加わったような情景にも読み取れます。

祭第七「冬」 絵 隆章法師・詞 六条中納言家
十月には神無月おう(負う)にやあらん、恒例、朔望(さくぼう※1日と15日の神事)饗膳外祭奠(典)なし、砌(みぎ)りに満る霜葉、錦繍のたむけ色を残し、いかき(斎垣)をたたく時雨は、巫女ことなり、神さびわたる宮中、かくても中々たう(尊)とく見えたり、
諏訪教育会『復刻諏訪史料叢書』から『諏方大明神画詞』

 下手な解説より、そのまま読んでもらったほうが良いでしょうか。実は、この「詞」の後半が気に入ったので、軒下にたまった「霜葉」の写真を添えようと思い立ちました。しかし、「錦繍の落ち葉」がある場所が思い浮かびません。考えてみれば、ケヤキの黄色はあっても楓の類がありません。寺社には好んで植えられる「赤葉を避けた」と考えると、やはり諏訪大社の独自性を思ってしまいます。楓は「鶏冠社」の「専用木」としたのでしょうか。写真は、そのうちに時機を逸してしまいました。
 今は「絵在之」の字を見るしかありませんが、法師の描いた絵がどのようなものだったのか気になります。

「諏訪大社本宮の(溶けた)霜葉」 22.11.11

 今朝はこの秋一番の冷え込みとなり、高冷地の自宅では庭に薄く霜柱が立ちました。今日は月一回の資源物の収集日で、指定場所の公民館へ行くために車の霜を溶かすのに時間が掛かりました。
 生活感あふれる書き出しとなりましたが、それは忘れて下の写真をご覧下さい。摂末社遙拝所と絵馬堂の間から撮った落ち葉です。右の構造物は「神居」を囲む瑞垣です。

砌の落ち葉

 実は、境内を一巡りしましたが「錦繍」が見つかりません。「蓮池」の周りにモミジが何本かありますが、これはきれいと納得できたのは「トイレの砌(みぎり)」でした。本宮の落ち葉はケヤキがメインなので、どうしても黄色系の錦になってしまいます。帰り道に、ようやく「これなら」という「砌りに満る霜葉は、錦繍の手向け色」を見つけました。
 一応「斉垣(いがき)と砌」です。中納言が見たら「これは違う」とクレームをつけるのは間違いありませんが、いつの時代でも現実とのギャップはあるものです。
 『画詞』を読み直すと、「霜に時雨」と相反する情景があります。「霜が覆った落ち葉に雨が降っている」ではおかしいではないか、と突っついてみました。念のために辞書を引くと、霜葉は「しもば」ではなく「そうよう」でした。さらに、「霜で紅や黄に変色した葉」とわかりました。(口惜しいので)それはそうとして、雨に打たれる落ち葉は余りにも淋しいので、私は「この一枚」としました。

本一とモミジ 本宮一之御柱を写真を加えました。左の建物が例のトイレです。右のモミジは「見頃」ですが、左のモミジは「散り終わり」で、それが軒下に積もっていた「トイレの砌」でした。