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神の足跡石 18.10.8

みそぎの池

前宮「みそぎの池」 前宮に「みそぎの池」が、と言っても誰もが首を傾げるでしょう。「県道脇にある」と補足すれば、何人かは「そういえば、何かあったなー」と言ってくれるかもしれません。「禊(みそぎ)」の名とかけ離れた現在の景観は、渇水期にはボウフラの天国を連想してしまいます。掲載写真は、“これなら”という5月の「みそぎの池と藤」を選びました。
 その池畔から、「跡」になってしまった「御手祓道」に挟まれた斜面にかけて、曰くのありそうな黒い大石が幾つか頭を覗かせています。ただし、溝上社の案内板には「西方に『神の足跡石』があった」と過去形で書いていますから、それらは“ただの石”ということになります。

神の足跡石

 今井野菊著『信濃一之宮 諏訪大明神前宮遺蹟』の小冊子があります。それに折り込まれた「前宮付近図」を見ると、「神の足跡石」が書き込まれていました。昭和41年発行ですから、現在も存在している可能性があるとしました。
「神の足跡石」 そろそろ栗拾いという10月初め、「あるか・無いか」だけでも確認する価値があると出掛けてみました。しかし、何れも名前の由来となるような特徴はありません。池から一番離れた石に目を移すと、ひび割れた表面が一部剥落していて、丁度足のような形に見えます。
「神の足跡石」 近づくと、「これが…」と思わせる大きな“左足跡”です。注連縄などの結界がないので、大きさが比較できるように、左足を置いた一枚を撮ってみました。
 隣家の主人と見られる男性が木々の間に見え隠れしています。本数から言えば疎らですが、何れも大木なので意外と見通しを悪くさせています。その間を縫って彼の許に向かいました。
 「神の足跡石」を問うと、「全く知らない」と言います。何かヒントになるものを聞き出そうと、畳み掛けるように「子供の頃は(この辺りは)どんな様子でしたか」と続け、“私の前宮”に彼を引き込むことに成功しました。しかし、「足跡」に関連するような話は出ませんでした。

 ここからでも「(新宿)三平」の会長と社長が寄進した鳥居が見えます。自然と、彼らの成功(大金持ち)をうらやむ(ねたむ)話が主になってしまいましたが、それでも以下の話を聞くことができました。
 「近くのパチンコ屋(ダイナム)の基礎工事中に、地下3mから杭が沢山見つかった」「大昔は、県道脇が諏訪湖だった」との話は、この辺りの住民は一般論として認識しているようでした。さらに、「この付近は木の根元からガラスがたくさん出てくる」と言います。根が延びて太くなると、地中に埋没した物を押し上げるのだそうです。
 ガラスは、かつてこの地にあった大祝邸で使われた什器の瀬戸物であると思うのですが…。それより、モノは試しと幾つかの根本を巡回してみました。
土器 何かを燃やして溶けたような廃棄物・ビン類のガラス片・急須の蓋と共に、土器の一部が見つかりました。地中から覗いていた褐色のやや大きな破片にはヒビが入っていて、手に取ると三つに分かれました。その厚さと粒子の粗さから縄文式土器に間違いありません。中世の土器(かわらけ)を予想していましたから、その古さは意外でした。左端の凹みが土器片が埋まっていた跡です。ガラスではありませんが、当に、彼が言った通りでした。

矢立石・大石さま・御手跡石・大祝出陣の石

 頼りとする「安国寺史友会」の案内板は、「前宮関係の石」では社務所裏の「矢立石」のみです。神の足跡石は、確証がないことから案内板の設置を遠慮したのでしょうか。弘法大師の「○○石」といった類の「足跡石」だと思いますが、このメニュー「前宮雑学」に相応しいと1ページを割きました。
 前宮境内にある「前宮史蹟案内図」に「大石さま」が書かれています。現地には案内板がありませんが、その前にある石に「供養」とも読める文字があるので「前宮遺跡」とは関係ないようです。また、「前宮付近図」には「御手跡石」とか「大祝出陣の石」も載っていますが…、本当のところはどうなのでしょう。
 最後になって書くのはズルイと言われそうですが、これが「神の足跡石」である確証はありません。…「神のみぞ知る」でしょうか。