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諏訪大社と活断層 '19.6.28/'21.10.1

諏訪の活断層

 6月22日に、諏訪市教育会館で伊藤文夫さんの講演「諸説 諏訪盆地の地形・温泉・御柱・文化財」がありました。“諸説あり”に惹かれて聴講した私は、話の中で紹介された藤森孝俊さんの学論「活断層からみたプルアパートベイズンとしての諏訪盆地の形成」に興味を持ちました。
 自宅に戻ってからネットでそのPDF文書をダウンロードしましたが、数字と専門用語の羅列に、概説を読んだだけで、いさぎよく終わりにしました。

 それとは別に、『地理院地図(電子国土Web)』の2万5千分1地形図には、情報の一つとして〔活断層図〕があります。諏訪大社上社前宮を表示させてからそれをクリックすると、下図のような地図に切り替わりました。試しに透過率を最小にしてみると、元の地形図が表れます。

諏訪大社前宮断層図 ご覧のように、活断層図のベース地図が古いものとわかります。また、分割した地図の接合部では継ぎ接ぎが見られ、等高線もずれています。
 そのため、一世代前の紙の地図に情報を手描きしたものをデジタル地図に重ね、透過率を変えることで両方を表示する仕組みと理解しました。
 最新の地図とは若干のズレがあるので、断層の場所を特定するには、上図の活断層図のほうが正確となります。

諏訪大社と断層

 上図ではわかりにくいので、アナログ的に書くと「トレーシングペーパーに断層面を写しとり、最新の地図に重ねた」ものを作ってみました。
断層図凡例 記号の凡例は、〔活断層図(都市圏活断層図)の内容(記号一覧)〕から必要なものだけを抜き書きしました。オリジナルは赤褐色ですが、主要地方道の色と紛らわしくなるので、透過率80%の茶色に変えました。なお、地図上では神社の場所がわかりにくいので、本殿などの主要建造物にを表記しました。

諏訪大社前宮

諏訪大社前宮周辺の断層図

 断層は、御室社のやや上部という場所から、断続的に諏訪湖の西岸へと続いています。「前宮が断層の始まりなのか」と眺めている中で、その断層崖の直下にあるのが鶏冠社と気が付きました。

諏訪大社前宮断層崖
前宮水眼広場が整備されて露わになった断層崖

 そうなると、今は行方不明となった「要石(かなめいし)」の本来の由来は地震封じなのかとの考えが…。しかし、それを有史以前に起きた地形変動に結びつけるのは、私の性に合いません。
 具体的には、「前宮水眼広場−峯の湛(たたえ)−前宮公園の縁(狐塚古墳)−御頭御社宮司総社を繋ぐ断層」と書いてみました。

諏訪大社本宮

諏訪大社本宮周辺の断層図

 本宮の中枢部を縦貫しています。境内は平坦化や拡幅が進んでいますが、布橋下の石垣から硯石がある斜面が相当します。

神宮寺跡の断層崖
茅野市神長官守矢史料館蔵『復元模写版上社古図』

 古絵図では、本宮の隣(地図とは逆)にある普賢堂の下に「崖」として描いています。今で言うと駐車場の山手斜面になりますが、普通に見れば単なる山裾にしか見えません。


諏訪大社春宮

諏訪大社春宮周辺の断層図

 国道下の急傾斜地から続く断層は、社務所と神楽殿の間を通過しています

 改訂版では大きく変わっているので、書き直しました。

諏訪大社春宮周辺の断層図
令和3年改訂版 

右の石垣が断層崖

 春宮入口右の石垣が断層崖の一部です。春宮から秋宮へ向かう、いわゆる「三角八丁」の角に当たります。この崖地を断層によるものと意識したことはなかったのですが、地図を参照すればまさに縦ずれ断層が造ったものでした。

諏訪大社秋宮

諏訪大社秋宮周辺の断層図
諏訪大社秋宮周辺の断層図
令和3年改訂版 

 左側の断層には赤の矢印があり、それを「活断層のうち、変位が軟らかい地層内で拡散し、地表には段差ではなくたわみ(撓み)として現れたもの。たわみの範囲及び傾斜方向を示す」と説明しています。
 そのため、国道上では中山道の分岐下がそのラインですが、「八幡坂」の名があるように、ただの坂道となっています。

諏訪大社秋宮の断層崖
犬射馬場の標石(正面奥の建造物が下諏訪中学校)

 それでも中学校の辺りまで南下すると、撓曲崖(とうきょくがい)が見られます。
 写真は犬射馬場跡の標石からその段差を撮ったものですが、標石が三分の二ほど埋もれているのを見れば、たわみによる地盤沈下を考えてしまいます。
 その段差を解消するために沈下面を嵩上げしてきた結果、このような景観になったのでしょう。

 以上、「活」が冠に付く断層を地理院地図を参考にその痕跡をたどってみました。