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駒形屋の絵馬 本宮境内 22.5.30

 駒形屋の扉の上に掛かっている幅一間(1.8m)の大きな絵馬です。「奉献・文化九年壬申4月吉日」ですから、「御柱の曳き建て」に合わせて奉納したのでしょう。調べると、1812年でした。

駒形屋

 左下に「右村新田馬持中」として、諏訪の「村と新田」の名が書かれています。ところが、「?」が読めないので変換ができません。そこで、上の写真ではわからないこともあって、大きく略して「馬持(講)中」で済ませる(とぼける)ことにしました。「それでも確認だけは」と手書き文字認識で調べると、「甼」で、町の異体字でした。上下に分割して左右に並び替えると「町」になりますから、「そういう時代もあったのか」となりますが、釈然としません。
 「村・町・新田・馬持中」ということなので、(よせばいいのに)改めて「読み取る」ことにしました。写真を拡大すると、「甼」はありませんが3件の「町」が見つかりました。トップの「當(当)町」は、右下に「願主 木之下町 茅野喜惣右衛門」とあるので「木之下町」とわかりました。朋之町は友之町で、湯之町とともに「今の下諏訪町」です。これは関連があると「下諏訪町木の下」で地図検索をすると、下社秋宮の前を指しました。
 村は「村と邑」があり、「新田」を含めて「中」が続くものとそうでないものが混在しています。この差別化した書き方に悩みましたが、「―中」については、「村中・講中」などのように村に組織があるか無いかの違いとしました。
 ここで、“下社圏”から、なぜ諏訪湖を挟んだ上社本宮に絵馬が奉納されたのかの疑問が浮かびました。春宮・秋宮にも同様な絵馬を奉納したと考えましたが、両宮には「駒形屋」がありません。やはりここしかなかったのでしょう。

駒形屋の絵馬 文字はこれで切り上げ、レリーフ状に彫られた馬に注目しました。全体に長方形の模様が残っています。これは襖絵によく見られる金箔の跡と直感しました。そのつもりで見直すと、頭部には、一部ですがまだ金の輝きが見られます。絵馬に金箔が貼られているのを初めて見ました。
 取りあえず挙げた「文句」なので適正ではないと思いますが、「文化・文政の時代は庶民の生活に余裕ができた」と聞いています。石造物にこの元号の銘が多いのがそれを裏打ちしています。この時代でも特に「御柱の年」とあって奮発したのでしょう。「金色の馬だ」と参拝者の人だかりができる様を見て、「村甼新田馬持中」の人々が得意になっている姿が想像できました。

 「金箔の馬」として紹介するつもりでしたが、文字を読んだばかりに深入りしてしまいました。