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オーパーツ!?『延久以前図』

■ 〔波除鳥居〕から切り離し、『延久以前図』としてまとめました。

『延久以前図』

 田中阿歌麿著『諏訪湖の研究』に、諏訪湖の古図が何枚か載っています。一番古いのは〔延久以前図〕ですが、「製図の年代は不詳」と但し書きがあります。「延久元年」を調べると、1069年でした。
 その古図を転載しましたが、湖水の境界がわかりにくいので青く塗ってみました。

延久以前図

 上部の「下原」は下諏訪町の「下の原」で、鳥居が現在の諏訪大社下社の秋宮。その下の長方形が下諏訪宿の前身ということでしょう。
 ところが、諏訪大社上社がある場所には、高遠から「片倉」を経由して「高部」に向かう道はありますが、何も描かれていません。「この時代では、上社の社壇はまだ無かった(諏訪湖の下だった)」ということでしょうか。
 直接には関係ありませんが、左下にある地名「西沢・上嶋」が諏訪に存在しないのが不思議でしたが、調べると辰野町にあった旧村名でした。

標高810mを湖面とした「太古図」

 古代の諏訪湖は、今より50mから80mほど高かったと言います。地理院地図に、諏訪湖面759m+50mとした標高810mの等高線を湖面として着色してみました。

810mライン
標高810mを湖面と想定「地理院地図」

 これを見ると、距離や方角はともかく〔延久以前図〕の諏訪湖と酷似しているのに驚きます。守屋山に登ってもこのような俯瞰(鳥瞰)は望めませんから、一体どのようにして作成したのでしょうか。
 言い替えると、810mラインの諏訪湖を作画できた当時の技術が説明できません。私は、諏訪のオーパーツと認定しました。

上社本宮の社壇が造営される以前の諏訪湖面図

 〔延久以前図〕の時代では、湖面が高くて「上社本宮を造営する土地がなかった」と仮定してみました。それを上社本宮が湖中となる標高として逆算してみると、775mでした。
 数値を挙げてもピンとこないので、『地理院地図』の〔色別標高図〕を使って、その高さを湖面としたものを作ってみました。描き足した赤い鳥居は、秋宮は境内入口・本宮は一ノ鳥居(波除鳥居)です。

769mライン
諏訪大社下社秋宮(標高775mを湖面と想定)
769mライン
水没した諏訪大社上社本宮(標高775mを湖面と想定)

 ここに挙げた地図は〔延久以前図〕から想定したもので、「このような時代があった」とするものではありません。