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『上社古図』(天正のボロボロ絵図)

 このサイトで度々登場するのが、現・諏訪大社とその周辺を描いた『上社古図』です。

上社古図
神長官守矢史料館蔵 復元模写版『上社古図』

天正のボロボロ絵図
 「諏訪市中洲神宮寺区で代々受け継がれてきたが、現在は諏訪市博物館で保管。大きさは縦横約1.7m」とある『上社古図』は、折り目の部分が「ボロボロ」なので、通称「天正のボロボロ絵図」と呼ばれています。

原本と模写本
 その『上社古図』を写したものが権祝家に伝わり、さらにそれを写したものが神長官守矢家に保管されています。以上を(わかりやすく)まとめると、『上社古図』は、「原本(神宮寺区蔵)」・「原本を模写(権祝本)」・「模写本をさらに模写(神長官本)」の三枚があることになります。また、富士見町の御射山神戸区にも模写したものが伝えられています。模写なので、絵師の“技量(事情)”で微妙にタッチが異なり、省略されたものも見られます。
 神長官守矢史料館では、神長官本を復元模写したもの(レプリカ)を常設展示しています。(入館料を払えば)いつでも見られるので貴重な存在になっています。

「今ナシ」 原本の『上社古図』には、“その時代”では「すでに存在していない」ものには、障子紙の小片に「今ナシ」と書いた付箋が貼り付けてあります。模写本では、文化財のレプリカではありませんから直接書き込んであります。

「伝天正」

不明門 『上社古図』が作られたのは「天正時代」と伝えられていますが、通説では、以下の項目を挙げて「江戸時代初期」としています。

しかし、何にでも一応は疑ってかかる私は、

として、原初の『上社古図』が描かれたのは伝承通りの天正で間違いないと考えました。ただし「原初」としたように、神宮寺区蔵の『上社古図』は「江戸時代初期に、“初版本”を基本にして現在あるものを描き加えたもの」としました。これで、「諸説」が八方丸く収まります。「今ナシ」の堂宇まで描き写したのは、かつての栄華を伝えるためでしょう。

天正のボロボロ絵図 21.11.7

 諏訪市博物館の企画展「諏訪の縁起と祭礼」で、初めて自分の目で神宮寺区蔵『上社古図』を確認しました。修復されて裏打ちされた古図は、地図というより「一幅の大きな掛け軸」でした。「ボロボロ絵図」の名前の由来となった失われた折り目の部分は、修復されていますが当然ながら「地色」のままでした。
 早速、茅野市守矢神長官資料館で展示している『復元模写版上社古図』には描かれていない、磯並社の左下にある「風無神袋風祝塚」と御射山社の「昔風祝御庵」を、ガラスが曇るほど顔を近づけて観察しました。「撮影不可」なので写真で伝えることはできませんが、これが本物の『上社古図』か、でした。

 このサイトでは、茅野市教育委員会の許可を得て、茅野市神長官守矢史料館蔵『復元模写版上社古図』の写真を、各所に「参照」として載せています。