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本宮幣拝殿の謎 ver24.1.20

 上社本宮の幣拝殿の正面は、参拝者から見ると東南の方角に当たります。もう少し詳しい方位を書こうと、ヒッチコックの映画『北北西に進路をとれ』から「とうとうなん」と入力しました。ところが、全く変換しないので「なぜだ」と考え込んでしまいました。そういえば、そんな言葉は口にしたことがありません。紙に方位を書いて悩むこと一分。「東南東」と思い出しました。一発で変換して一件落着しましたが、頭に二つ続く場合と間に挟む表記の違いは何なのでしょう(と、また話の方向が…)。

二つの参拝ライン

 関係する、現在の社殿配置図を用意しました。

幣拝殿・宝殿概念図 社殿の形状は単純化しましたが、大きさと方位だけは(自分で言うのも何ですが)超正確に作ってあります。繰り返しになりますが、現在の配置図であることを頭に置いてください。
 諏訪大社の「公式参拝路」に従うと、紆余曲折がありますが、幣拝殿を正面にする拝所に“たどり着き”ます。ここから「━━」のラインで幣拝殿に向かって参拝します。
守屋山 一方で、古文献に見える大祝の参拝順路や古来の姿を留めているとされる「諏訪大社下社」に倣うと、神楽殿→一・二之御柱の間→東西宝殿の間→四脚門のライン「━━」の先は「硯石」になります。
 さらにその先の「守屋山」を挙げる人もいますが、本宮からは守屋山を直接見ることはできません。参考として、足長神社から撮った写真が左です。約3.3Km離れた高台でも、守屋山の一部(┌┐)が前山の向こうにやっと見えるだけです。
 この「90°直交した参拝線」が論議の的で、様々な説が出されています。

幣拝殿の向き

 古文献には、硯石や“その向こう”を祭祀の対象とした記述はありません。そのため、ここでは「幣拝殿の向こうに何がある」として、代表的な説を紹介します。

「多宝塔正面」説

上社古図(部分)
神長官守矢史料館蔵 復元模写版『上社古図(部分)』

 仏教色が濃くなったことを反映して、「石之御座多宝塔(御鉄塔)」を拝む位置に幣拝殿を建てたという説です。
 江戸初期作と伝わる『上社古図』を見るとその「多法塔」が描かれており、幣拝殿がその方向に向いています。「建物の向きに規則性などは無い」という古絵図ですが、宝殿までも多宝塔に向けて描いたのではないかとも思ってしまいます。

「本地普賢菩薩正面」説

上社古図(部分) 同じ“仏式”ですが、神宮寺の「普賢堂に向かって造られた」という説があります。
 根拠となる「本地垂迹説」では、「仏は、神を仮の姿として現れる」そうですから、諏訪明神の本地・普賢菩薩を本尊とする普賢堂に向かって幣拝殿を造営した、となります。
 宮地直一著『諏訪史 第二巻前編』では、「如法院に関する伝説で、同寺寛保二年の起立書によると」として

往古の境地は社内にして薬師堂の下、如法堂の上にありしが、天正年中…灰燼となれり。…其の中に普賢堂計(ばかり)は残れりと云えり。爾後(じご)殿宇を社外に曳移し再び営造すと…

を紹介しています。かつては、普賢堂が神居の後方にあったことがわかります。
 広島県の厳島神社では本殿の後ろに本地堂があり、本地仏の十一面観音が祭られています。本宮の「幣拝殿(神居)の後ろが普賢堂」も厳島神社とまったく同じ様式になりますから、この説はかなり有力な部類に入るかもしれません。

「前宮正面」説

 本宮では、4月の例大祭には幣殿の御扉が開かれます。この日は御頭祭なので「前宮を遙拝している」という説があります。その間には小尾根が存在し、見通しが利かない上に距離もあります。直接見えないのがミソで、多少外れていたとしても「なるほど」とうなずいてしまいます。
 しかし、どこの神社でも例祭には本殿の扉を開きますから…。

「前宮をコピーしたのが本宮」説(自説)

 今までは幣拝殿の向こう側を見た考証ですが、宝殿を含めた社殿配置を考えてみました。まず、「上社は前宮が原初で、後に前宮をモデルに本宮が造られた」という歴史を頭に置いてください。

八坂刀売命
『諏訪史 第二巻後編』

 左図は、寛政四年(1792)の『上宮諏方大明神前宮繪図』に載る前宮の境内図です。前宮(本殿)と御神所の大きさは違いますが、現在と同じ配置であることがわかります。
 が正面ですから、前宮(本殿)を宝殿に置き換えると、本宮と同じ構成になります。言い替えれば、本宮の一と二之御柱の間・東西の宝殿の間に立てば、左前方が「神居(御神所)」になりますから、前宮と同じ配置ということになります。
 ただし、本宮では本殿に替えて宝殿を造ったので、その間を通って御神所を参拝することになります。その前に幣拝殿を建てたのが、現在見る本宮の社殿配置となります。何も矛盾はしません。

伊勢神宮の「参拝路」

 「GoogleMap」で表示させた伊勢神宮の参拝路です。左上が「宇治橋」ですから、本殿へは「橋を渡ってから右折して、左折のまた左折」という参拝順路です。私も修学旅行を含めて二度参拝していますが、参道が長い上に大木が鬱蒼と繁っているので、このような道とは気がつきませんでした。
 諏訪大社本宮も参道が複雑ですが、伊勢神宮もかなりのものです。やはり、大きな神社ともなると、「宿場の枡形」を持ち出すのは畏れ多いのですが「御正面を見通すのは失礼に当たる」ということでしょう。

出雲大社本殿の神座

出雲大社神座 出雲大社も本殿は南向きですが、その中の神座は西向きなので、本殿内で左・右・右と回るそうです。このように、神社の参拝路や神座の向きは複雑怪奇ですから、見かけの参拝線を安易に云々するのは控えた方が“安全”です。
 余談ですが、出雲大社をよく知る方は、瑞垣の西側に設けられた拝所で参拝するそうです。私は、知らずに「祭神を横に見る拝殿」の正面で拝礼しました。

 古文献には、硯石や守屋山を祭祀の対象とするものは一切ありません。それを目的に読んだ方には肩すかしのような内容になっていますが、これが“現実”と言えそうです。

 謎とも言われている幣拝殿の諸々に興味のある方には、古文献からさらに具体的な記述を拾った「尊神の御在所 考」があります。“考”はともかく、最低限の知識として目を通しておいても損はありません。下欄のリンクでご覧ください。


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