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変事の前兆と『神使御頭之日記』 23.6.19

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 3月後半から「筒粥」が上位に登場し始めました。筒粥神事が行われた1月中旬でさえ一桁台でしたから不思議に思っていました。その後、「諏訪大社の筒粥占いが的中した」ことがネット上に広がり、それに反応した人が「筒粥って何だ」と検索したことが原因と判明しました。御神渡りの占いも同様な結果が出ていましたから“確かにそう”ですが、「地震」に結びつけることまでは考えていませんでした。

『神使御頭之日記』

 諏訪教育会『復刻諏訪史料叢書』に『神使御頭之日記』が収録されています。占いで御頭役に当たった「郷名」を記録したものですが、その(原本を見たことがないので多分)行間に書き込みがあります。編集者の「書目解題」では、「当年発生せる大事件等を記入するは、神長官家守矢氏の私記」と解説しています。享禄元年の例を挙げると

内縣介 金子 宮付 西牧
此年甲州武田方と執合に付て八月二十二日に武田信虎堺へ出張候て…
大縣介 松島 宮付 奈良本

となります。因みに、「◯縣介・宮付」は、大祝の代役を勤める神使(おこう)の「正・副」です。

 この『日記』の中から、天文11年の「諏訪神社上社の根底を揺るがす大変事」の前兆を取り上げました。原文を損ねない程度に、現代かな漢字に書き換えてあります。

天文九年庚子
(前略) 八月十一日の酉時の盛り(午後6時)より南大風出、雨共に戌刻(午後8時)迄吹き候(そうろう)、南風静まり半時ばかり候(そうらい)て北より大風吹き出、子刻(午前0時)迄吹き候、何れも近年になき大風、とりわけ北風強く候て、宮々の古木大木吹き折れ候、下馬(下馬社)のサワラ一本吹き折れ候、宮山のツガ大小二、三、四十本折れ候、
 斯様(かよう)の風は以後も有間敷(あるまじ)く候、同神前の鉄塔二重(回)吹き転ばかし候、神長宮の当番にて則(即)直し申候、カラホコ(?)二本・輪蔵のサワラ一本・大宮(本宮)木は以上三本根返り候、この如きの風はムクリ(蒙古)風にても候かと申し候、昔のシワマクリ風にも劣らず候、風静まりて大水来、大町家十ばかり流れ人も三人夜半水(半減)に候、
 総じて十一日酉の頭(午後5時)にシブノ湯山にあたりおびただしく鳴り、さて酉刻の終わりに風吹き出候、大水は五十年以前に只今の水にも増し候て出候由(そうろうよし)申し伝え候、風は五百年以前のシワマクリ風もこれ程はあるまじきかと風聞候、
 磯並の宮の木四十本根返り、風強くして戸かえ(?)は申すに及ばず軒かえまで吹き放し候、
 (中略)
 霜月八日亥時(午後10時)宮おびただしく三度鳴り候、同晦日甲州武田殿息女諏方殿へお越し候、十二月九日諏方刑部頼重甲州へ婿入り、同十七日武田信虎この方へお越し候、(中略)
 此年霜月二十日比海三夜氷り御渡(おわたり※御神渡り)、一ノ御渡ばかりエノトより大和・高木の間へ御上(あがりまし)候、近年なき御渡に候、(中略) 事の外御馬の足荒き由風聞候、
天文十年辛丑
 この年正月一日蛙狩、数二十四カリ(蛙)出候、十四五座敷出し(さしだし?)残りは放し候、この年月は五カリ出候事はなく候て三四ならては候わず候に、二十余りはに候、如何あるべく候かな、(中略) この年三月下旬に上坊(如法院)裏なるタテ石五日六日唸る、昔も諏方一乱の時この如し、(中略)
 この年、七月御射山上御(のぼりまし)の夜原山コトコトしく鳴り候、頼重御気にかけ神馬進められ候、
天文十一年壬寅(※式年造営年)
 七月五日に頼重甲府へお越し、同二十日の夜御腹(切腹)召され候、(後略)

台風

 南風が北風に変わるなど台風の特徴をよく書き留めています。「(ご神体の)鉄塔がガラガラと転がったので、宿直の神長官が慌てて追い掛けて元に戻した」姿をつい想像してしまいました。これは「事の始まり」のタイミングとしては“絶妙”ですが、前兆とは言い切れません。

御神渡り

 一ノ御渡(氷の道筋)だけが異例だったということです。「馬の足荒き」は、「明神は馬に乗って渡る」と信じられていた時代なので、氷の盛り上がりが激しかったということだそうです。

蛙狩り

 「蛙狩神事でカエルがたくさん捕れた」ことは、「たまにはそういうこともあるさ」で片付けられます。

鳴動

 「山・神社・石が鳴った」記述は超常現象そのものなので、後から書き加えた「神意を伝えるための創作」としか言えません。

その他

 この時代の筒粥占いは「農作物」限定と思われるので、「世の中」は占いの対象外でしょうか。上社の筒粥については、文献に具体的な内容が残されていないので詳細を知ることができません。また、「内側に倒れれば社内、外側なら天下の乱が起きる」という“御柱占い”がありますが、天文11年は「御柱年」なので、いかに神通力と言えど春先に建てたばかりの御柱を倒すことはできなかったと思われます。


 今回は、神長官家に伝わる守矢家文書から『神使御頭之日記』を紹介しました。読者が一番気になっているのは、『日記』より今年の筒粥や御神渡りの「占いの結果」だと思いますが、ここでは取り上げません。