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『上宮御鎮座秘伝記』に見る前宮 2.1.25

 『上宮御鎮記』を『上宮御鎮座秘伝記』と表記しています。ここでは、表現上「ミシャグジ」と「御左口」を使っています。

『上宮御鎮座秘伝記』での前宮

 「天文二十二年(1553)十二月」とある『上宮御鎮座秘伝記』(以下『秘伝記』)があり、文末には五官及び「信濃国一宮上諏方南方刀美神和魂荒魂霊宮神主(在判)」と添え書きがある諏方大祝の署名があります。「諏訪神社上社の神主」を名乗る大祝には違和感がありますが、〔下社 上諏方宮之別宮也〕から、以下の条文を書き下し文に直して転載しました。

「下社は前宮の別称」を覚えておくと、「上社の文書になぜ下社が…」と悩むことがなくなります。

一、本宮の辰巳(南東)を十八丁隔て前宮と号す、是(これ)本宮の御妻八坂刀売命 之降孫供奉に臨み天中三十二神の八坂彦命の後流なり の和魂(にぎたま)陰霊は岩根樹下に於いて鎮座而(して)有り、神稜これ在り焉、荒魂陽霊は側の社中に於いて鎮座、(後略)

諏訪教育会『復刻諏訪史料叢書 第四巻』

 「御左口神御前にて御手幣」とある『大祝職位事書』から70年後の文書ですが、「前宮は八坂刀売命を祀り、その墓がある」と書いています。
 ここにミシャグジが登場しないのは、乱世とあって、すでにミシャグジ祭祀が退転していたと考えました。しかし、『秘伝記』は諏訪神社上社の鎮座由来を書いたものと気が付き、公の祭神である八坂刀売命を書くしかない(ミシャグジを伏せた)と考えを改めました。
 ところが、何回か目を通す中で、『上社古図』より50年以上前のものであるのにも関わらず、「この社殿配置は江戸時代以降のもの」と思えてきました。

「神主大祝」

 気になる「神主大祝」を図書館で探すと、延宝7年(1679)『社例記』に、「神主大祝(着)山鳩色狩衣立烏帽子」の文言があります。ただし、署名は「諏方大祝/神頼隆」でした。
 次は寛政4年(1792)の『上宮諏方大明神本社繪図』です。絵図の隅に「諏方上宮/神主/諏方大祝(捺印)」がありました。このように、大祝に「神主」を付加した署名は少ないのですが、江戸時代では決して珍しいものではないことがわかりました。

「御神所」と「前宮」

 『上宮諏方大明神本社繪図』とセットになる『上宮諏方大明神前宮繪図』では「諏方上宮/諏方大祝(捺印)」ですが、その絵図に注目しました。

前宮古図
宮地直一著『諏訪史 第二巻後編』〔図録〕

 『秘伝記』から240年後の絵図になりますが、『秘伝記』の文言「陵と社」に対応しており、現在の社殿配置にも通じます。
 これを見て、『秘伝記』は江戸時代に書かれたものではないかという疑問が深まりました。改めて読み直すと、

が挙がります。
 念のためにネット版『信濃史料 巻十一_7』を開くと「コノ文書、ナホ研究ノ餘地アリト雖(いえども)モ、姑(しばら)クココニ掲グ」とありました。その理由は書いていませんが、編纂者が「天文22年」に疑問を持ったと想像できます。

 こうなると『秘伝記』が成立した時代があやふやとなり、これ以上継続することが難しくなりました。

 実は、『上社古図』に絡めて『上宮御鎮座秘伝記』を取り上げたのですが、『秘伝記』があらぬ方向に向かい始めたので、中途半端ですが無期限の一時停止としました。