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『上宮御鎮座秘伝記』に見る本宮 2.2.2

『上宮御鎮座秘伝記』

 ネット版『信濃史料 巻十一』では、「諏方大祝」に(諏訪頼忠)・「左相公閣下」に(一条兼冬)を附記しています。奥書「天文二十二年」から時の大祝と左大臣を割り出したと想像しましたが、それは置いて次に進みます。

和魂陰霊は神陵・荒魂陽霊は本殿

 『上宮御鎮座秘伝記』から、関係する部分を現代風に直して転載しました。

■ JIS水準外の漢字は画像で表示しています。内容・文体の変化から欠落した部分があると考え、それを(略)としました。

大明神は南方刀美神、一名(※別称)健御名方神、国造大己貴神第二の子にして事代主神の弟也、

(中略)

一、三代実録(略)於乎はるか矣哉はるか矣哉(ああ、はるかなるかな、とおきかな) 古記云 神の磐隠乎(いわがくるか)、諏方国鎮座の所宮社を造らずして唯(ただ)拝殿を建て、この山を以て神体と為してこれを拜す、則ち父尊大和国三輪に倣いて神陵を造りして、神の和魂(にぎたま)陰霊鎮座の所也、
その拝殿の外に神門有り、神門の外左右に宝殿二宇有り、凡そ寅年より申年に到る七年の間右宝殿より神輿を遷座し奉り、左宝殿 壊寅年建立之旧宝殿新造建 に於いて又申年より寅年に到る七年の間左宝殿より神輿を遷座し奉る、右宝殿 壊申年建立之旧宝殿新造立 に於いて寅年より申年に到りして、前件の如く古今休止有るは無し、神の荒魂にして陽霊鎮座の所也、
延喜式神名帳所載の諏方郡南方刀美神社二座これ也、神の岩隱の所山を以て神体と為す、故にその地に分界を定め柱を建て是を御柱と号す、凡そ柱は我国の道の大事と存ず所、是また宮柱太敷立てる儀にしてその経営は当社第一の大祭礼也、

一、本宮の辰巳(南東)十八丁隔て前宮と号す、是本宮の御妻八坂刀売命 之降孫供奉に臨み天中三十二神の八坂彦命の後流也 和魂陰霊は岩根樹下に於いて鎮座して有り、神稜これ在り、荒魂陽霊は側の社中に於いて鎮座
下一丁余にして東北の間に少し平原の地有り、神原と名づく、その所に神事屋を建て拾間廊と号す也、年々三月酉日 酉日有二則用初有三則用中 に於いて、年中一度の大祭礼を執行、御頭祭礼と云う、祭礼の條は別記、

諏訪教育会『復刻諏訪史料叢書 第四巻』

 文中の感嘆詞「於乎(ああ)」が『諏訪頼忠慶讃』にあったことを思い出しました。同一文字なら『上宮御鎮座秘伝記』が諏訪頼忠の手になるものとすることに一歩近づきますが、「嗚呼未聞也」でした。公・私の文書で書き分けたとも考えられますが、そもそも神社の由緒記に個人の想い「ああ、遥かなるかな、遠きかな」があること自体に違和感を覚えます。
 本題に戻ります。文中の「和魂陰霊・荒魂陽霊」を本宮と前宮に分けると

本宮
健御名方神 和魂陰霊鎮座−神陵・荒魂陽霊鎮座−宝殿

前宮
八坂刀売命 和魂陰霊鎮座−神陵・荒魂陽霊鎮座−側の社中

となり、(よくわからない)和魂陰霊・荒魂陽霊は別として、両社とも墓と宮所の関係で書いていることがわかります。

宝殿は、どう見ても本殿

 前宮は今の景観にその関係を重ねて見ることができますが、本宮については、現行の祭祀からは神陵をうかがい見ることはできません。宝殿も煤払い神事で開扉されるのみで、祭祀の対象になっていません。

御神輿奉遷
宝殿遷座祭(2010.6.15)

 これが一変するのが、式年造営御柱大祭で行われる宝殿遷座祭です。
 名目は「御神輿奉遷」ですが、布単を敷いた布橋上を、宮司を従えた神輿が厳重に遷座する様は御神体の遷座そのものです。この時ばかりは、「宝殿は本殿の別称」と声を大にすることができます。

「宝殿は本殿」説

 古文献に書かれた「御宝殿」と「御正面」を拝する様子は、私には、本殿と神陵を御参りしているように見えます。そのため、上社の原初の信仰形態は「本殿と神陵」で成り立っていたと考えてしまいます。その本殿が“宝殿”になってしまったのは、大祝の存在でしょう。
 『諏方大明神画詞』にある「上宮に御正体を不用、神託云、吾に神躰無く、祝を以て躰と為す」ですが、「上宮に御正体本殿を不用、神託云、吾に神躰本殿無く、祝を以て本殿と為す」と置き換えても違和感がないように、御衣着祝(みそぎほうり)制を考案したことで、本殿の存在意義が無くなってしまったのが“事”の始まりと言えます。

宝殿
北宝殿(2008.12.29)

 つまり、神社の荘厳を保つためには(下社との対抗意識もあり)本殿の存在が必須なので、宝殿と名付けて存続させた。それ以降、他社と異なる社殿配置になり、様々な解釈が生まれた、ということになります。
 しかし、ここで私が幾ら書き足しても御託と取られるのは必定なので、「宝殿は本殿」説の雄である、八代国治著『国史叢説』の〔諏訪神社の研究〕を読んでもらうことにしました。ただし、スキャン本なので読みづらさがあります。

 最後に、『秘伝記』は誰が・いつ書いたのかという疑問は残りますが、諏訪神社上社の信仰形態と御柱を、短文ですがよく説明していると思います。
 『国立国会図書館デジタルコレクション』にある〔諏訪神社の研究〕は以下のリンクで御覧ください。