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姫宮(姫宮社) 茅野市高部 14.9.25

 『諏訪藩主手元絵図』には、「妃宮ホコラ」の名が見られます。「かつては前宮の境内社だった」と書いた本もありますが、詳細はわかりません。中河原の鎮守社が「姫宮社」なので、ここでは、前宮境内にある案内板通りの「姫宮」としました。

 前宮境内にある案内絵地図には、最下部に「姫宮」があります。しかし、対応する県道沿いにはそれらしき姿はありません。祠が木の下に描かれているのを思い出したので宮川に向かって首を振ると、そこにだけ、まるで取り残されたような一群の木が見えました。絵地図の「道沿い」は限りなく宮川に近い場所でした。

姫宮遠景

 県道と宮川の間は去年までは田圃でした。保育園と二、三軒の民家があるだけでしたが、「茅野市安国寺姫宮土地区画整理事業」が進むに連れて新築家屋も増えました。まだ更地が多くを占めていますが、前宮からその杜の木が見えなくなる日もそう遠くではないようです。

埋もれた姫宮 裾に付く種を気にしながら近づきました。ここしかないと根方を見ますが、季節と同じピークを過ぎた草が生えているだけです。前宮側に回り込むと、小さな御柱が見え隠れしていて、ようやく姫宮と確認できました。
 草を足で払った空間に出現したのは、高さ30センチ余りの石祠でした。諏訪では普通に見られる「流造」です。名前から連想する、ちょっと期待してしまう“マニアック”さは、“どこを探しても”ありませんでした。絵地図では姫宮社の横に描かれている(諏訪湖の名残ともいわれる)「馬場(ばっぱ)の池」も、痕跡さえありませんでした。
 分譲地を区切っている道路はまだ舗装前です。その縁石の縁と田畑を境する砕石混じりの土に土器片が見られます。手に取ると縄文式土器でした。この造成地から出土となれば、この辺りは諏訪湖だったという話はどうなるのでしょうか。

続「姫宮」 15.7.13

姫宮 姫宮は、「古くは前宮の境内社の一つであった」と書かれています。祭神が「高志沼河比売命・櫛稲田姫命」とあるので、同じ祭神を祀り、その信仰の“対象”も同じ「子安社」が前宮の近くに勧請されたので、見捨てられたのでしょうか。
 一般には、「女神を祀った神社では御柱を建てない」と言われています。御柱はどう見ても男性のシンボルですから相性は良いと思われますが、…ここ姫宮にはあります。「二人だから」とも考えられますが、何にでも御柱を建てたがる諏訪人の“犠牲”になったと考えるのが自然でしょう。因みに、前宮入口にある同じ高志沼河比売命を祀った「溝上社」は、大社側が目を光らせているので御柱はありません。

続続「姫宮」 21.1.1

移転した姫宮 初詣の帰りに寄ったら、…姫宮は道路脇に移転していました。自然石を使った基壇上の祠を見ると、「明治十七年十月 高部 藤森富之丞」と彫られています。旧鎮座地は、左写真では下の凹みです。ここにあった時は草に埋もれていたので、銘があるとは気が付きませんでした。

「姫宮」ファイナル 24.7.10

姫宮社 前宮前方の造成地で行われていた工事が何かの店舗建造とわかり、広大な更地も一足早く駐車場となって現れました。買い物客の車が並び始めたので、「姫宮はどうなったのだろう」と確認することにしました。
 余りの変わりように、姫宮がどこにあったのかわからなくなりました。移転の可能性が濃厚になってきましたが、姫宮公園との相対位置を思い出し、ツルハラとユーパレットの間から姫宮公園へ向かいました。何気なく首を振ると、駐車車両の間に、…残されていました。諏訪大社(または、祭祀者)が頑張って、ユーパレット側が示した「移転」を拒否したのでしょう。

 現在は、採算が取れないとして、ツルハラとユーパレットは撤退しました。