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宝殿の千木と物部氏 諏訪大社本宮境内

諏訪大社本宮宝殿 以前より、諏訪大社上社本宮にある宝殿の千木の形が気になっていました。機会がある毎に「同じものがないか」と各地の神社や古民家を見上げてきましたが、未だに見つかりません。
 ある日、図書館で、彩流社刊『古代は生きている』を手にしました。サブタイトルの「石灯籠と稲荷の謎」に惹かれたからです。パラパラとめくっていると、その「千木」が目に留まりました。エッと凝視すると、諏訪大社とは関係がない「物部氏」の家紋の一つでした。

『群書類従』と『見聞諸家紋』にある物部氏の家紋

物部氏の家紋 自宅で「群書類従にある物部氏の家紋」を手持ちの写真(上写真)で見比べると、残念ながら上下が逆になっていました。しかし、『見聞諸家紋』にあるという左の「千木堅魚木紋」に注目しました。

置千木 その紋は、交差した下の千木に方形の穴が空いています。ところが、神社の千木は写真のように上に空いています。右に並んだ紋がただの「×」なので、あくまで宝殿の千木に固執する私は、製版時にこれらの紋の天地を逆にしてしまった可能性を考えました。それにはまず原典を自分の目で確認しなければ、と『群書類従』をネットで検索しました。離れていますが諏訪市図書館にありました。

 受付で申し込むと、パソコンで検索した結果が「二階の倉庫・25冊」と出ました。たじろいだ私に、「必要なら前部持ってきます」と言ってくれましたが…。キーワードが「物部氏・家紋」だけなので、取りあえず〔総目録・書名索引・略解題〕本をお願いしました。ところが、取っかかりが全くつかめないので、この時点で諦めました。このまま引き下がるのも何なので、当てずっぽうに近い選択で2冊を下ろしてもらいました。図版の確認だけなので、パラパラと頁を落とす方法を3回繰り返しました。しかし、2/24の確率では無理でした。

『姓氏家系大辞典』にある梶紋

 せっかく上諏訪まで来たので、二階の郷土関係の本(の背表紙だけ)をチェックしてから、一階の辞典類がある書架の前に立ちました。姓氏家系大辞典刊行会刊『姓氏家系大辞典』があります。その三巻目にあった〔物部氏〕の頁をめくっていると、[神家]の項に、私にとっては「宝殿の千木紋」がありました。巻末を見ると、昭和11年発刊・金12円と言う辞典でした。「捨てる神あれば拾う諏訪明神あり」で、最近感じる“導き”のようなものを想いました。

神家 前項末の熙氏は此の流ならん。細川管領配下の名族にして、明徳三年(元中九年)八月二十八日の相國寺供養に「細川頼元家臣・物部九郎成基」を載せ、又陰涼軒目録、延徳二年七月三日條に「丹波に於いて大合戦あり、物部豊前守を大将と爲(な)して位田城を攻む」と。其の後明應二年閏四月十三日、将軍義稙・河内國畠山弾正忠義豊・征伐として發(発)向ありしに、細川武蔵守政元・反忠して、畠山に組しければ、終に将軍方利を失ひ、正覚寺の陣破れて、此の日義稙・細川畠山の爲(為)に捕はれ、政元・之を家臣物部紀伊守が館に押籠(込)む。又、見聞諸家紋に
 [家紋] 神家物部

 句読点の使い方に難があり誤記(誤植)と思われる部分もありますが、原文ママとしました。下に、最終行の[家紋]を別掲として転載しました。

物部氏家紋 左の紋の中央部は、どう見ても「立ち梶の葉」です。「物部氏」の中で「梶」紋を見るとは予想外でしたが、それはそれとして、右の家紋は、冒頭に挙げた『古代は生きている』の図とは上下が逆になっています。やはりというか目論見通りというか、平成の製版業者が間違えたことがわかりました。
 こうなると、諏訪大社上社宝殿の千木の登場です。しかし、この本で初めて知った「神家」の支族「物部氏」と諏訪明神とは(私の知識では)繋がりません。

物部氏の家紋は、訪大社本宮宝殿の千木なのか

宝殿の千木 家紋は、宝殿の千木と違い“自由に動かす”ことができます。そのため、上下のバランスを考えて「千木の横板を下にずらした」のが(全く同じではありませんが)「物部氏の家紋」と考えてみました。
 改めて「神家」の「明徳三年」を調べると、北朝側の元号で1392年でした。しかし、神家物部氏の“消息”は、私には未知の領域です。「千木と家紋」に類似性・関連性があると睨んでここまで進めてきましたが、私が持てる知識ではこれ以上の“深入り”はできません。残念ながら、ここまでとしました。

丹波の上原氏が物部を名乗った

 その後、遅まきながら、諏方大祝家が「神家」であるという知識を得ました。また、その分家の「上原氏」が丹波を治めたときに領地の名称「物部」を名乗ったことがわかり、物部連守屋に代表される「物部氏」とは関係ないことが確定しました。
 幕府の命で諏訪から京都、さらに丹波の物部に移ったときに、万感の思いで、氏神「諏訪神社上社」を象徴する宝殿の千木を家紋にしたのでしょう(か)。
 これで、たぐり寄せたかのように見えた「物部守屋」は、再び諏訪神社の元から離れてしまいました。

千木堅魚木紋“上下”の謎

 「千木堅魚木紋」を『家紋』のサイトで検索すると、いずれも千木の下部に方形の穴が空いています。しかし、“天の書”でも一応は疑ってみる私は(これでかなり失敗しましたが)、「原典を編んだ大御所(または製版業者)が間違って紋の天地を逆に載せてしまった。それが一般的になり(誰も疑問に思わず)今に続いている」としました。それとも、よくある「神社と同じでは畏れ多い」ので「逆」にしたのでしょうか。

梶の葉桐

 千鹿野茂著『日本家紋総鑑』があります。〔梶の部〕を開くと、百以上ものバリエーションがありました。その中で、物部「神氏」の家紋は、外周部の「丸に割り梶の葉」と中央の「五つ梶の葉に一文字」の組み合わせとわかりました。
 ここでは関係ありませんが、各地の諏訪神社で豊臣家に代表される「五七桐」が使われているのが不思議でした。この本で「梶の葉桐」と知り、「やっぱり諏訪神社なんだなー」と納得しました。


‖サイト内リンク‖ 丹波上原氏縁の「西坂諏訪神社」