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硯石(諏訪七石)

硯石“近影” 27.6.5

硯石近影

 「これが硯石」と言われても、ネットの写真や過去に拝観した経験を持つ方なら違和感を覚えるかもしれません。これは、幣拝殿の修復工事に伴って整備された最新の姿です。瑞籬を建て替えた際に、コケの一部を剥がして清掃したのでしょう。前日が雨でしたから、中央部からあふれた水が岩肌を黒く染めているのがわかります。

諏訪七石の一つ「硯石」

 東西宝殿の間に建つ四脚門を透かすと、正面の脇片拝殿の屋根上に、瑞垣で囲われた大岩が見えます。これが「硯石(すずりいし)」で、「諏訪七石」の一つに数えられています。

硯石と四脚門
四脚門から硯石を見る 22.5.5

 硯石は、現在の神楽殿─御柱─東西宝殿─四脚門ライン上に“絶好の位置”を占めています。そのため、「○○ライン」が好きな方ならすぐに飛びつくでしょう。しかし、現状では、同じ諏訪七石の一つである「御沓石」と同じ位置づけになっています。

 『諏方大明神画詞』から、中世の神域が窺える部分を転載しました。

社頭の躰(てい)三所の霊壇を構えたり、其の上壇は尊神の御在所、鳥居格子のみあり、其の前に香花の供養を備う、(中略)中の壇には宝蔵(※御宝殿)経所斗りなり、(後略)
諏訪教育会『復刻諏訪史料叢書 第一巻』

 ここでは、最上位の場所を「上壇は尊神の御在所」という表現をしています。「御在所」を磐座とすれば「御座石」しか当てはまりませんから、硯石には(付けられた名称から)“硯に似た石”以上の地位を求めることはできません。

硯石 16.1.13 また、『年内神事次第旧記』などの古文献を見渡しても“硯石を祀る”記述は見つかりません。「昔は、この石は無かった」と思えるほどです。
 その要因は、その圧倒的な存在感から来る過大評価でしょうか。見る人にそれ以上の価値を植え付けているのは間違いありませんが、やはり、“ただの諏訪七石の一つ”に過ぎないということになるのでしょう。

 前出の『諏方大明神画詞』には、一回だけ「硯石」が登場します。

七夕、本社饗膳穀(梶)葉を以て至要(※極めて重要)とす、社の砌(みぎり)なる硯石にもおく、

 「磐座を祀る重要な神事のカギが」と読み直すと、“ついで”のような扱いをしています。また、辞書には「雨垂れの落ちる庭石や庭や場所を指す」とある「砌」ですから、決して一等地にあるとは言えません。そのため、「七夕→梶の葉に和歌を書く→筆→硯」という連想から、“たまたま”あった「硯の石」にも饗膳の一部を供えたという解釈ができます。

『上社古図』に見る硯石

上社古図にある「硯石」 神長官守矢史料館蔵『復元模写版上社古図』では、硯石は幣拝殿より奥に描かれています。絵図では距離・方角の正確さは期待できませんが、それにしても現在の位置からは大きく離れ過ぎています。
 ところが、この場所は「外籬(垣根)の屋根から雨垂れが落ちる場所」ですから、『諏方大明神画詞』で言うところの「砌」にピタリ符合してしまいます。

硯石は嵩上げされた

 「硯石は、最近嵩上(かさあ)げされた」と書いた本があります。「磐座に(人間が)手を付けることはあり得ない」と半信半疑でしたが、それは事実でした。
 平成21年元旦の若宮社で、「権祝の矢印」でお世話になった地元の方と偶然に会いました。平成19年9月以来2度目の出会いでしたから、まさに諏訪明神のお導きとしか思えませんでした。その彼から見せてもらった写真の中に、「硯石(もしくは、脇片拝殿)改修工事」がありました。

脇片拝殿と硯石 写真は、蛙狩神事の一コマです。「工事中の写真」では正面の脇片拝殿がありませんから、硯石の基部がすべて露わになっています。それに写っている硯石の大きさは「現在見えている範囲とほぼ同じ」でした。
 私は斉庭の基部からそそり立つ巨石と思っていましたから、どちらかといえば扁平な姿に、なぜ「硯」と呼ばれているのか無理なく理解できました。上から撮った写真には、偶然か故意か、凹面には墨を模したような石も置かれていました。

 気になるのは嵩上げした理由です。端的には「見えるように」ということらしいのですが、“公式な経緯(いきさつ)”はわかりません。写真には、一本の細長い石が頬杖のように下から支えているのが見えますから、重文に指定された脇片拝殿を硯石の“滑落”から守るために、「ずり落ちた分を元に戻した」とも考えられます。

 硯石の全容(大きさ)を見たことで、移転が可能であることを知りました。硯石は、『上社古図』に描かれたように、江戸時代以前には現在の場所より奥にあって人目に触れなかったのかもしれません。


‖サイト内リンク‖ 文献で検証する「硯石は境内の奥にあった」