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「諏訪明神は北向きに立つ」本宮の神座 24.1.13

 下図は、社殿の形以外は大きさ方角とも正確に作った本宮境内図です。

幣拝殿・宝殿概念図 この中の幣拝殿・神居を神座として、どの方角に向いているのかを16方位で表すと「西北西」になります。さらに、東西南北で“矯正”すると「西向き」となります。
 これで出雲大社の神座と同じ西向きになりましたが、無理にこじつけたと言われても反論はできません。
 ところが、古文献の中には、「西向き」も霞んでしまう「大明神北向立」という記述が多く見られます。

是は敵方なる故に軍神にて北向立給(たまう)と云う、天竺にて善光寺の阿弥陀如来と大明神は御約束にて上宮(※本宮)の御宝殿と善光寺南大門は一分も異ならず正方に向きたりと申す也、天王寺と西方極楽の東門の如く申す也、(後略)
諏訪教育会『復刻諏訪史料叢書』

 守矢文書の『諏訪上下社神事祭禮ノ事(断簡)』ですが、ここでは「宝殿」を対象にしているので、「西よりマシな矯正かなー」となります。
 文明16年(1484)『諏訪大祝殿御職位の時十三所御社参次第』では次のように書いています。

 大宮せんとおち(千度大内※現在の布橋)の前を東かたへ御柱御立候(そうろう)もとを御祝殿(※大祝)の御さき……北方きたはし(きざはし※階段)をすぐに古宝殿まいり候、
諏訪教育会『復刻諏訪史料叢書』

 布橋入口に立ってみると、右にある御柱は北に近い北東に建っています。御柱を建てる位置は古来から不変として、「御柱が東に立つ」ように前掲の境内図を右回転させると、境内の全てが「北向き」になります。
 そのため、この文献の「北」は磁北ではなく「大明神は北を向く」を「基本(立前)」としていることがわかります。宝殿も、かつては「北・南宝殿」と呼ばれ、二之鳥居が現在も「南鳥居」と呼ばれているのはこのためです。

 このように、古文献に出る方角を参照する場合は、何をベースにしているのかを見極めることが大事になります。