諏訪大社と諏訪神社トップ / 上社雑学メニュー /

駒形屋「神馬の奇瑞」 本宮境内 20.8.27

駒形屋 境内東北の隅にあるのが「駒形屋」です。社殿内には幣帛を背負った馬の像が二体置かれているだけなので、それを知ってか知らずか、多くの参拝者は顔を向けるだけで通り過ぎて行きます。
 この駒形屋も、他の社殿と同様に織田勢に焼き払われました。享和年中に再建されたとありますが、現在の建物は弘化3年(1846)のものですから、築140年余りとなるでしょうか。

神馬の奇瑞

 実は、これといって紹介するものがないので「駒形屋」はここで中断していました。その後、諏訪史談会『諏訪史蹟要項(11)』に“おもしろい”話が載っていたので、急きょ日の目を見ることになりました。
 「駒形屋」の項に、「諏訪神社(現諏訪大社)宮司岩本尚賢の内務省への報告書に以下の如く有り」と報告書の一部を抜粋し、その時の状況を解説しています。

神馬の奇瑞

  諏訪神社上社境内に駒形屋と称し、常に神馬二頭を立置所あり。一頭は銅を以て造り、其色黒く、他の一頭は木製にして、其色白し。何れも其背に幣帛を立て、諏訪大神御乗の料とせり。
 然るに明治二十四年七月廿八日午後七時と思(おぼ)しき頃、風雨障りも無く、甚(はなはだ)静穏なりしが、突然天地も破るゝ計りの振動を起して、程なく止みぬ。当直の神官を始め、社頭近隣の者、何事ならんと驚き、旦怖れながら集り見るに、駒形屋の後方に目通り一丈六尺余(径4.8m)の古木大欅ありしが、転倒して駒形屋を微塵に砕きたるなり。
 此響に依て、あたりの石灯籠又皆転倒せり。又欅の倒れたる梢は遠く摂社出早社の前に及びたり。然るに銅木二頭の神馬は少しも損する事なく、駒形屋を出て、欅の側に直立したり。此駒形屋の前戸は方二寸計りなる木もて組たる格子戸なるを、微塵に砕くる瞬間を、如何にして出ぬらんと、見る人不思議の念を起さざるはなかりき。
 かくて此神馬を高神子屋に移したりしが、遠近是を聞き伝えて参詣するもの引きも切らず。万口(ばんこう)一斉に、是誠に諏訪大神の神徳なりと称し、各信心を起し、寄付金を献じて怱の間に元形の駒形屋を建立し、再び神馬を旧に復しぬ。尚修飾を加えず、実況を記す事、此如し。

しかるに御神馬は何の異常もなく前方約5間(約9m)許りの所へ飛び出して居った。丁度その時は、日清の役開始の折で、人皆諏訪大明神が神馬に召して戦場に向かわれたのだと云いてその神異におどろいたのである。このことは今でも神宮寺の人の語り草になっている。
駒形屋
左の大木が、折れて倒れたケヤキ

 私には「奇瑞」が読めなかったので、「奇蹟」の誤字としました。ところが、念のために辞書で確認すると、「きずい」と読み「めでたいことの前ぶれとして起こる不思議な現象・吉兆」とありました。「奇瑞かー、(教養の高さがにじみ出るから)今度使ってみよう」と思いましたが、そう簡単に起きないのが奇瑞の奇瑞たる由縁なので、今後とも「きずい」を漢字に変換することはないでしょう。
 このサイトでたびたび挙がる『諏訪史蹟要項』は、昭和31年発刊当時のガリ版刷りをそのまま本(冊子)にした復刻版です。ワープロはもちろんコピー機もなかった時代に、諏訪の大先輩達が苦労して手で書き上げた貴重な資料集です。そのため、言い回しの古さはともかく、少なくない難読字を「手書きだから誤字」としてしまうことがあります。

駒形屋の神馬 話がそれましたが、左が「倒壊の衝撃で9mも飛び出していた」とある神馬です。“語り草”になるくらいですから、(転倒せずに)「何かあったの?」と言わんばかりに立っていたのでしょう。
 黒く塗ってあると思い込んでいた馬は、文政2年の記録『信濃国昔姿』にある「唐銅の駒形」でした。木造の白馬は、いつ頃作られて奉納されたのかはわかりません。

 諏訪教育会『復刻諏訪史料叢書』に収録された、神長官が書いた『古日記書抜』です。

慶安二年己丑、上社唐金之神馬寄進郡主並びに家中寄付
慶安二年は1649年でした。「郡主」は諏訪郡の主ですから「藩主」のことです。