諏訪大社と諏訪神社トップ / 上社雑学メニュー /

諏訪大社上社「(新)本宮−前宮ライン」 30.7.14

諏訪大社本宮幣殿
本宮幣殿「御簾の向こうに何が…」

 上社本宮の参拝ラインの一つに、“拝幣殿の向こうライン”があります。幣殿の正面に立った場合、その「延長線上に何があるか」というものですが、本殿があれば、そんな“こと”は誰も考えないでしょうか…。
 それについての諸説はありますが、今回は、新しい発想というか、半分思い付きのラインを設定してみました。

本宮と前宮

 実は、かつて「その向こうは前宮本殿ではないか」と考えたことがあります。しかし、レイラインとはとても言えない結果に終わりました。それが、最近になって、(現在の)前宮本殿より(かつて)「生き神」と崇められた大祝の居館のほうが理にかなっていると思い付きました。『大祝職位事書』に、

一、神殿(ごうどの)の内間に居給う神おわします。仍って、神殿と申し名付けまいらせて…

諏訪教育会編『復刻諏訪史料叢書 第一巻』

とありますから、地図上にそのラインを目で引くと、…いい感じです。「それなら本格的に」ということで、グーグルマップにラインを引いてみました。


 このままでは大ざっぱな始点・終点に見えますから、少し説明を入れます。まずは本宮(下図左)ですが、左右の片拝殿が異なる形状とあって、地図上の平面図では幣殿の中心がハッキリしません。そこで、拝所の中心を基準にしました。

 一方の前宮ですが、こちらは「史跡前宮神殿跡」とあって、跡のどこに神殿(ごうどの)を設定していいのか悩みます。結局は、その館跡を囲む「御手祓の道」の中にある「前宮社務所」を中心としました(下図右)。

本宮−前宮ライン
本宮拝所()space前宮神殿推定地()

 この設定で「本宮−前宮ライン」を引いたのですが、目論見通り、拝幣殿横軸の垂線と重なりました。これで、拝所中央で手を合わせれば、自然と延長線上にある(かつて存在した)諏訪神社上社の大祝も拝んだことになります。

大祝と神長官の確執(対立)

 この標題の詳細については、最下段のリンク先で御覧ください。

立ちはだかる神長官の祖神達

大祝の御廟 旧神長官邸の辺りを拡大すると、「もしかして」と予想していたモノ()が現れました。大祝廟、即ち大祝諏方家の墓地です。ただし、これは公図ではなく、墓石が並んでいる見た目の区画です。
 ここは、かつては神長官の墓地でした。そうなると、その時代では、(拡大解釈と言われそうですが)本宮で諏訪明神を拝礼すれば、直接には見えませんが、背後の神長官の祖神をも拝んだことになります。神長官の祖先がこのラインを意識してその場所に墓地を造ったのかは不明ですが、まーそこは神長官のことですから…。

大祝の強権発動

 私は「歴代の大祝は拝幣殿の後方が神長官の墓地ということを認識していたが、見えない山の向こうとあっては立ち退きを要求することもできずに悶々としてきた」と考えてみました。

大祝御廟
大祝御廟

 その機会が到達したのが、藩主諏訪家から別れて大祝諏方家が興った時と考えてみました。
 初代大祝は、宮田渡へ大祝邸を移したのを二度と無い好機と捉え、「諏訪明神のお告げで、大祝家の墓地をこの地に造ることになった。ついては…」と言ったかどうかは定かではありませんが、とにかくゴリ押しをしたのでしょう。

 神長官といえども、藩主の弟という新たな権力者の前には呑むしかなかったと思われます。これが「大祝の墓譲れ」の真相でしょうか。

「拝所−幣殿−大祝祖神」参拝ライン

 本宮に正面を向けた大祝家の新墓が竣工し、これで本宮後方の憂いはなくなりました。現在も、拝所で柏手を打てば「三千年の光明なり諏方一族」をも拝むことになりましたが、これを裏打ちする証拠(史料)が…。


‖サイト内リンク‖ 『大祝と神長官の対立』