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神殿中部屋社について 2.2.9

宮田渡の大祝邸と中部屋社

 諏訪神社上社の重要摂末社「下十三所」の一所に「中部屋社」があります。その名の通りに、原初の中部屋社は神殿(ごうどの※大祝邸)の一室にあり、その後は神殿に付帯した独立社になったと考えられています。
 前宮にあった神殿は今や神原(ごうばら)遺跡となりその片鱗もうかがい知ることはできませんが、その前宮から宮田渡(みやたど)に移転した神殿は、一部を残すのみですが旧大祝邸として存在しています。

大祝邸
中部屋社space大祝邸

中部屋社の祭神はミシャグジ

 『中洲村誌』から、〔諏訪上社旧大祝邸居館図〕を転載しました。「天保改築当時」とあるので、1840年以降のものとなります。文字がつぶれて判読できないので、関係する部分を忠実に拡大復元してみました。

宮田渡
細野正夫・今井広亀著『中洲村誌』〔神宮寺村を行く〕

 この絵図にある中部屋社にルーペをかざすと、「御社宮司社(また)春日社」が読み取れます。これで、春日社(祭神/八意思兼命)は後代の合祀としても、中部屋社の祭神がミシャグジであることがわかります。

 さらに見回すと、下段にも「御社宮司」社があります。これでは、大祝は寝ても覚めても、常にミシャグジに監視されているのではと思ってしまいます。

中世の「神殿の内の間に居給う神」

 この時代での呼称は「神長」ですが、慣例として「神長官」を使いました。

 『大祝職位事書』から、寛正七年(1466)の書留を転載しました。ここで取り上げた神殿は、前述の宮田渡ではなく、前宮の神原にあった大祝館を指します。
 直接には関係ない「これ」を書くと混乱しますから、先にコラム形式でまとめてみました。読み飛ばした方が得策の場合も…。

 以下に出る※1※2の「不定・ふちょう」は「不浄」ですから、※1は「今日よりは不浄不断の儀」、※2は「今よりしては不浄なる事」となります。

 ここからが本題です。

…柏手神事、赤穀大平二たて広柏にてまいる、御手くらを祝殿にもたせまいらせて神長申立、

一、御神躰とまかりなるうえは、今日より不定わふたんの儀※1あるまじく候、ぬかつか申す此文所々の宮にて申す可(べし)(大宮から溝上社まで略)(終わりて)大御門戸より内御玉殿開き申立

一、神殿の内の間に居給(いたま)う神おわしますによって神殿と申名付けまいらせて、それにて祈念を申す、我身はすでに大明神の御正躰とまかりなり候(そうら)いぬ、清器(きよつき)申したまわりて定(さだむ)べし、今よりしてはふちょうなる事※2あるべからずとおこた(行垂)り申してぬかつか申す、…

諏訪教育会『復刻諏訪史料叢書第二巻』

 研究者はこぞって、「一」で区切ってあるのにも関わらず、「一、神殿の内の間…」を内御玉殿への申し立てとし、双方の関連を説いています。しかし、私は、内御玉殿になぜ「神殿の内の間」を持ち出すのかとスッキリしません。
 その違和感は、三行目の「一、御神躰とまかりなるうえは…ぬかつか申す」は申し立ての文言で、その文言=「此文」を「所々の宮にて申す可」と読めたことて解消しました。つまり、その申し立てを「柏手社から内御玉殿までの十三所に奏上した」と読むのが正解となります。これは、文調の違いから、二つの「一、」が申し立ての文言のみに掛かっていることからもわかります。
 内御玉殿とは関係ないと確定した「一、神殿の内の間…」については、後述としました。

 守矢家文書『神長守矢満實書留』の文明11年(1479)に、大祝継満が即位した時の書留がありました。

…大祝殿に継満位立直候、…後神殿巡に三輪、後内玉殿篇家(部屋)御手帛、後神殿にて大祝殿御酒一献有…
諏訪教育会『復刻諏訪史料叢書第一巻』

 ここでは、内御玉殿・(神殿)中部屋社の順で参拝した後に、神殿で一杯飲んだと書いています。

 『大祝職位事書』にある文明16年(1484)のものを読むと、冒頭の「鷹戸屋の外城於神殿」を始め、前半部に「御」を付けた神殿がたびたび出ることに悩みました。
 それも、文明16年が「文明の内訌」の翌年とわかれば(血で穢れた)前宮から移転した鷹戸屋の神殿(ごうどの)と理解でき、両神殿を「御」のあるなしで厳格に区別していたことがわかりました。

一、内御玉殿御社参有、…御手はらわせ申、さて神殿御着候、五人祝・両奉行・政所両人、御祝殿の御しゃくにてめし(飯)出候、…さて前宮へ御まいり候て、…

 ここでは中部屋社を書いていません。中部屋社は離れた鷹戸屋の神殿にあるので、昼食をとるために、この(旧)神殿に立ち寄ったということになります。

 以上、私の興味本位に沿って余分なことまで書いてしまいましたが、「一、神殿の内の間」は神殿中部屋社への申し立てで、内御玉殿に結びつけるのは間違いとしました。まとめると、即位後に初めて神殿(大祝館)に入り、中部屋社の前で「神殿の内の間…我身はすでに大明神の御正躰とまかりなり」を奏上したことになります。

ミシャグジと大祝

中部屋社
「宮田渡の中部屋社」神長官守矢史料館蔵『復元模写版上社古図』

 ここまでの(直接には関係ない)解釈はともかく、「神殿の内の間」が「中部屋」に相当します。そのため、「諏訪上社旧大祝邸居館図」にあるように、そこに「居給う神」はミシャグジということになります。
 また、ここまでの流れでは、ミシャグジが神であるのかの論は別として、ミシャグジの前で大祝就任の誓いをしたと解釈することができます(が…実際はどうなのでしょう)

申し立て

 「一」で始まる「申立」のみを抜き出してみました。

十三所への申し立て
御神躰とまかりなるうえは、今日より不定わふたんの儀あるまじく候、ぬかつか申す、

 最初の十三所となる「柏手社」では「御手くらを祝殿にもたせまいらせて神長申立」とあるので、この申し立ては(大祝ではなく)神長官が奏上したことがわかります。また、合計13回も唱えるので、このような短いものと考えました。

神殿中部屋社への申し立て
神殿の内の間に居給う神おわしますによって神殿と申名付けまいらせて、それにて祈念を申す、我身はすでに大明神の御正躰とまかりなり候いぬ、清器申したまわりて定べし、今よりしてはふちょうなる事あるべからずとおこたり申してぬかつか申す、

 即位後から大祝の住居となる「神殿の内の間に居給う神」に向けた挨拶のようなものでしょうか。この年の大祝は16才ですが、4、5才の時もあるので、申し立てのすべては神長官が代わって奏上したことになります。