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諏訪大社にも天逆鉾(天之逆鉾)が !?  17.5.20/2.6.27改

「神力残石上」銘の天逆鉾

天之逆鉾 諏訪七石の一つ「御沓石(おくついし)」の前に立つと、玉垣の向こうに、銘板を貼り付けた奇妙な灯籠があることに気が付きました。『神蹟整備の記』と題した銅板を読むと、「天保六年当国諏訪の国学者宮坂恒由翁は、この霊石(御沓石)の傍らに天之逆鉾(あめのさかほこ)を建立し…」とあります。
 改めて石垣に沿って御沓石の後方を見通すと、そこに立つ“石棒”に「諏訪明神を尊崇した琉球国王が寄せた書」と説明にある「神力残石上」が読めました。
 しかし、天逆鉾と諏訪神社上社(以降は諏訪大社)の関わりが不明なので、何故ここに逆鉾が立っているのか不思議です。改めて全文を読み、この変な石棒をそれこそ上左右から観察しましたが、その存在に納得できぬままこの場を離れることになりました。

天逆鉾

 「鉾(矛)」を辞書で引くと、「両刃の剣に柄を付けたもので、槍と違い柄を下部のソケット状の穴に差し込む」とあります。写真でよく見る弥生時代の銅矛と同じようなものでしょう。
 次に、ネットで「天逆鉾」を検索すると、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が高天原から高千穂峰に天下られたときに突き立てたのが「天逆鉾」でした。その際に幾つかサイトを覗くと、高千穂峰にある現物を「天之逆鉾」と紹介しています。しかし、写真の鉾は「三連装」と凝(こ)ったものですが、それがなぜ「逆」鉾なのかの疑問が生じました。

逆鉾とは

 「逆鉾とは」で再検索すると、『ウィキペディア』の〔天逆鉾〕に、脚注ですが「本来長柄武器は刃を上にした状態が通常であるのに対し、刃を下に向けた状態、つまり逆さの向きで使ったため天逆鉾と呼ばれるという」とありました。
 初めはそれで納得していましたが、考えてみると、具体的にどう扱う(使う)のかがわかりません。鉾を握ったつもりで腕を動かしてみると、「レレレのおじさんのホウキの持ち方」しかないことがわかりました。しかし、この使い方では、自分の足を傷つけてしまいます。

 改めて「高千穂峰にある天逆鉾」の画像を見ると、いかにも神様が持っていそうな鉾が切っ先を天に向けています。(神様でも人間でも)「突き刺した」とあるからには、柄が上を向いていなければなりません。(誰がいつ立てたのかは別として)初めは刃先が下だったのが、いつの頃か「見た目を重視」して逆にした可能性を考えました。

 「坂本龍馬が引き抜いた」という話があるそうです。その際に、抜いてはみたものの現状復帰ができず、(今見る)柄の方を挿して帰った可能性があります。「そのために神罰が下って殺された」とは、今のところ誰も言っていませんが…。

 いずれにしても、「逆」とあるからには、「逆鉾造(さかほこづくり)」とも言える特別仕様の鉾であったように思えます。しかし、具体的な形を挙げることはできません。

諏訪大社と高千穂峰の天逆鉾

天之逆鉾
背景になっている大石が「御沓石」

 「諏訪大社の逆鉾」を見下ろすと、柄はありませんが、刃を地面に突き刺しているのがわかります。
 そのため、「高千穂峰の逆鉾」を“正”とすれば「逆・天之逆鉾」、つまり「通常の天之鉾」となります。

 ここで、高千穂峰の逆鉾は、刃でなく柄を突き刺しているので「逆鉾」の名が付いたとの考えが…。改めてそのことに向き合うと、ごく自然な名称ですから疑問も生じません。これで、「高千穂峰の逆鉾は、まさに“正”であった」ことになりました。

改めて、諏訪大社の天逆鉾

 現在は、これを人間の性(さが)と言うのでしょうか、誰もが思い付く、上から石を投げて乗せる技を競うような(諏訪の人は誰も言っていない)「運試し石」になっています。しかし、外れた石が御沓石に当たって神罰を受ける可能性があることを忘れてはいけません。

 余分なことを書いてしまいましたが、諏訪大社が琉球(沖縄)まで知られていたことだけは大きな驚きでした。