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諏訪大社にも天逆鉾(天之逆鉾)が!

天之逆鉾 諏訪七石「御沓石」の前に立つと、玉垣の向こうに銘板を貼り付けた奇妙な灯籠があります。「神蹟整備の記」とある文を読むと、「天保六年当国諏訪の国学者宮坂恒由翁は、この霊石(御沓石)の傍らに天之逆鉾(あめのさかほこ)を建立し…」とありました。
 改めて御沓石の背後に立つ「石棒」を御柱と石垣の間からのぞくと、確かに文中にある「神力残石上」の字が見えます。それは「諏訪明神を尊崇した琉球国王が寄せた書」と説明にありますが、それより、(便乗というかちゃっかりというか)裏に宮坂翁自身の和歌を刻んだことに彼の(態度の)大きさを感じました。
 天逆鉾と諏訪神社上社(以降は諏訪大社)の関わりが不明なので、何故ここに逆鉾が立っているのか不思議です。改めて全文を読み直し横や上から眺めましたが、この変な石棒の存在には納得できませんでした。

天逆鉾

 「鉾(矛)」を辞書で引くと、「両刃の剣に柄を付けたもので、槍と違い柄を下部のソケット状の穴に差し込む」とあります。写真でよく見る弥生時代の銅矛と同じようなものでしょうか。その鉾に「天」を冠したのが、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が高天原から高千穂峰に天下られたときに突き立てた「天逆鉾」だそうです。
 「天逆鉾」でネット検索すると、皆さんは高千穂峰にある現物を見て、あれが「天之逆鉾」と納得しているようですが、私には(写真で見る限り)「三連装」と凝(こ)ってはいますが、なぜ「逆」鉾なのかわかりません。

天逆鉾とは

 「逆鉾とは」で検索すると、『ウィキペディア』に「本来長柄武器は刃を上にした状態が通常であるのに対し、刃を下に向けた状態、つまり逆さの向きで使ったため天逆鉾と呼ばれるという」とありました。初めはそれで納得していましたが、考えてみると、具体的にどう扱うのかがわかりません。鉾は手元にありませんが、握ったつもりで腕を動かしてみると、「レレレのおじさんのホウキの持ち方」しかないことがわかりました。
 改めて「高千穂峰にある天逆鉾」の写真を見ると、いかにも神様が持っていそうな鉾が切っ先を天に向けています。(神様でも人間でも)「突き刺した」とあるからには、柄が上を向いていなければなりません。(誰がいつ立てたのかは別として)初めは刃先が下だったのが、いつの頃か「見た目を重視」して逆にした可能性があります。

 「坂本龍馬が引き抜いた」という話があるそうです。抜いてはみたものの現状復帰ができず、アセった龍馬は柄の方を挿して帰ったのでしょうか。「そのために神罰が下って殺された」とは、今のところ誰も言っていませんが…。
 いずれにしても、「逆」とあるからには、「逆鉾造(仕様)」と言えるような特別な鉾のように思えます。実戦用ではなく、初めから「地面に突き刺す」目的で作られたのが「逆鉾」でしょう。
 他人の土地に「ここはオレのものだ」とカケヤ(木製の大槌)で木の杭を打っても、「何を言うか」で終わってしまいます。それなりの身なりをして、柄の先に「錦の御旗」の(ような)飾りを付けた鉾先を地面にドンと突き刺せば、「ごもっとも」とひれ伏すかもしれません。(所有権は主張しないものの)ピッケルに国旗を結び付けて山頂に突き刺すようなものでしょうか。

諏訪大社の天逆鉾

天之逆鉾
背景になっている大石が「御沓石」

 「諏訪大社の逆鉾」を横から見ると、上部の仕上げが粗いので柄部・下部が滑らかなので刃のように見えます。上から見下ろすと「刃を地面に突き刺している」のは間違いありません。「高千穂峰の逆鉾」を「正」とすれば「逆・天之逆鉾」になっていますが、「私が定義する逆鉾」として見れば、正(まさ)しく「天之逆鉾」です。

 今では小石が乗っていて見えませんが、その下に「差込穴(または折れた突起)」があり、それに連結した柄が上にあったのでしょうか。このままでは「天之逆剱」になってしまいます。それとも、この形が、江戸時代の人が描く「天之逆剱」だったのでしょうか。
 現在は、これを人間の性(さが)と言うのでしょうか、誰もが思い付く、上から石を投げて乗せる技を競うような(諏訪の人は誰も言っていない)「運試し石」になっています。しかし、外れた石が御沓石に当たって神罰を受ける可能性が99.99%であることを忘れてはいけません。

 余分なことを書いてしまいましたが、諏訪大社が琉球(沖縄)まで知られていたことだけは大きな驚きでした。この経緯は、田中積治編著『諏訪の七石七木』に詳しく載っています。贈書扱いになっていますから、(多分)諏訪地方の図書館ではどこでも閲覧できると思います。