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諏訪神社(現諏訪大社)の神異 26.7.23

 『国立国会図書館デジタルコレクション』に、太田亮著『諏訪神社誌 第一巻が“所蔵”されています。この〔五章 神徳と神異〕から「神異」の一部を転載しました。大正15年の発刊で、発行所は「官幣大社諏訪神社附属諏訪明神講社」となっています。

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/983470/1

 この「神異」ですが、これは「神威」の間違いではないかと辞書で確認すると、
 【神異】神の示す霊威・人間業でない不思議なこと。
となっていました。改めて「神威」を調べると、「神の威光・神の威力」です。何回も読んでニュアンスの違いを(漠然と)理解した結果、やはり「神異」で正解となりました。

「御柱占い」

 正式な名称ではないと思いますが、御柱が倒れた方向で「何」が起こるのかを予想する「御柱占い」というものがあります。ただし、御柱は例え天地の異変があっても倒れないように設置しますから、1200年とも言われる御柱史上であってもそう何度も起こることではありません。この滅多にない記述が、冒頭で挙げた「神異」の一つとして載っていました。単なる“話”ではなく、諏訪神社(現諏訪大社)の宮司が上申書を提出したくらいですから、これは紹介せねばと思い立ちました。

 上申書は“行きつ戻りつ”の候文(そうろうぶん)ですが、読みやすい(戻らずに済む)ように直してあります。

〔内務省へ上申書〕明治二十七年十月十八日
謹んで陋簡(ろうかん)を呈し候、陳者(のぶれば)、去る七月中、朝鮮国内乱に付、海陸軍御派遣相成候折柄、諏訪上社三之御柱倒れ候に付、諏訪大神韓地へ渡御(わたりまし)相成候風説相唱候由之所、追々流伝、種々附会致し、各地の新間紙に記載致し候趣にて、社頭へ問合せ申来候向きも往々之有候え共、右御柱倒れ候外は、全く無根の説に付、其段返答に及置候所、今般黄海々戦中、鷹一羽軍艦高千穂号に飛来り、止り居り候を捕獲候て、広島大本営へ差出し、天覧に供し候旨、新間紙上にて承知致し候、鷹の儀は古来諏訪之神鷹と称し、種々由緒も之有(これあり)、殊に神功皇后御征韓之節も、艦前に鷹飛翔り候事跡、記録存在致し候に付、偶然之儀とも申し難き、勿論神幽之事件、凡慮を以て推定致し、表向上申致す可(べく)筋にも之無(これなき)、躊躇致し居候所、幸に今回臨時議会開院中、御在広之趣、伝承知り仕(つかまつり)候に付、別紙事実及由緒之概略、書取、進呈致し候間、御一覧之上、自然御採用相成可く廉(かど)も之有候者、其筋へ御内達下被(くだされ)候様致度、此段申進候也

明治廿七年十月十八日space諏訪神社  宮司 岩本尚賢
内務省社寺局長  阿部浩殿

 本では連続して書いてありますが、ここまでが「上申書」で、以下が、色々と取りざたされている“噂”に対して諏訪大社の見解を述べたものです。

明治廿七年七月廿九日諏訪神社上社三之御柱傾倒
御柱は毎寅申年五月新たに建替るものにして、七年之間には根底朽腐して倒るゝ事も無きに非(あら)ず。但し社頭の古伝に、御柱の内へ倒るゝは一社中の大事、外へ倒るゝは国家の大事ある前兆なりと、記載して、尤も戒慎(かいしん)する所なり。然るに今回の御柱は、外の方へ倒れたり。此事に付、世間には朝鮮事件にて大神海外へ渡御ありし由風説を伝へ、或は社頭に有る所の銅馬紛失せり、又は従前数十群集せし鳩、一羽も見えず等の事に附会し、終には神託ありて其筋へ届出たりなど新聞に記載せリ。

八月五日・六日、上社。八日・九日、下社に於て、皇軍全勝、軍人健康、祈願の臨時祭執行。此旨予て地方庁へ届出、祭典当日、参詣の現役、予備、後備の軍人、及其家族に神供の品を授与す。

同八日上社前宮二の御柱倒る
 前宮は本社祭神二座の内 前(きさき)八坂刀売命を祭る所にして、上社本社と同じく御柱を建る所なり。

九月十七日、黄海激戦中、鷹一羽軍艦高千穂号に来止りたるを捕獲して、広島大本営に献す。(新聞紙所載)
 鷹は古来諏訪大神の御使と称す、延久年中記す所の諏方大明紳縁起繪詞、神功皇后征韓の條に、神代の事は幽邈(ゆうばく)にして圖繪も及ぱす、當社明神の化現は、人皇十五代、神功皇后元年の事なり、同年三月、神教ありて、皇后松浦縣に至り給う、官軍は纔(わずか)に三百七拾余人、乗船四十八艘なり、(中略)又虚空より海上に両将化現す、各一劔を構えて衆箭を負う、(中略)棟梁臣武内宿禰、奏聞を経て其故を問給う、君他の州へ発向の間、天照大神の詔勅によって、諏訪住吉二神、守護の爲に参すと答給う、(中略)さて同十月、新羅へ御発向の時、(中略)数艘の兵船、四方をかこみ奉りて、諏方、住吉二神、殼葉、松枝の旗をあげて、先陣に進み給えぱ、群鳥(鷹鳩鷺鳥)虚空に飛翔(ひるがえ)り、大魚波に浮び出て、兵船を守て、忽に異域に至る、(下略)

概文中穀葉は諏訪神社の徴号にして、鷹は諏訪大神の御使なりと、謂伝えたり。古来諏訪神社の祭りに騎射或いは鷹狩りを為す事多し、御射山の神事等、其の一なり、今も御射山祭に、穂屋を造る、必ず厩、及び鷹部屋を設く。(後略)

 「鷹」については、戦闘中に軍艦のマストなどに留まること自体が疑問で、仮にそうだとしてもどのような方法で捕獲したのでしょうか。艦砲射撃による爆風で船上に落ちたというのが真相のようにも思えます。
 試しに「軍艦高千穂 鷹」で検索したら、サイト『春や昔』の〔「坂の上の雲」を100倍楽しむ100のエピソード〕の中に「高千穂の瑞祥」として、何と、素手で捕獲した時の写真が載っていました。

http://www.sakanouenokumo.com/goroku.htm

 渡りをする鷹があるそうです。その鷹が大海中で疲れ果てていたところに軍艦を見つけ、これ幸いと休憩したものの飛び立つ(逃げる)体力がなかったために簡単に捕まった、と想像してみました。

上社本宮三之御柱

御柱が折れる 左は、平成16年4月の「御柱休め」で倒した本宮三之御柱の根方の部分です。現地から境内へ曳き出す際に、石段の段差を通過する衝撃で折れました。この部分はすでにスカスカのコルク状になっているのがわかります。
 この御柱は今は天井川となった御手洗川の直下に建っていますから、地下に浸透した水分で腐ったと思われます。明治27年の前例もありますから、御柱祭の前年辺りからは近づかない方がよいでしょう。もっとも、その場所は立ち入り禁止になっていますから、杞憂でしょうか。

前宮二之御柱

 この御柱も水眼(すいが)川の川辺に建っていますから、四本中では一番に倒れる可能性があります。平成22年の「御柱休め」では、相当腐朽が進んでいました。
御柱は、外側に倒れるように傾けて建てる
 内側に倒れると社殿を損壊する恐れがあるので、わずか外側に傾けて固定するそうです。


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