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守屋山と神体山 Ver 27.8.18

 「諏訪大社上社本宮の御神体は守屋山」と広く言われています。ところが、境内からはその守屋山を仰ぐことはできません。かなりの距離をおいて、初めてその守屋山の「一部」が見えます。

守屋山
27.10.2

 この写真は、諏訪大社上社から市街地を挟んだ東(反対)側の永明寺山から撮ったものです。高台にあるこの位置でさえ、守屋山は「前山の上」に“ちょっとだけ”頭を見せるだけです。

グーグルアース「守屋山」

 グーグルアースの3D画像です。前山の間には凹地があるので、二重稜線のような山容であるのがよくわかります。これを見れば、誰もが「神体山」とはかけ離れたイメージを持つと思います。
 守屋山の最高峰は西峰(1650m)ですが、奥に位置しているので手前の東峰が高く見えます。そのため、麓からは東峰が守屋山として見えます。そこには「守屋神社奥宮」の祠はあるものの、諏訪大社に関わるものは一切ありません。もちろん「禁足地」ではありませんから、多くの登山者が360°のパノラマを楽しんでいます。

守屋山から見下ろす

守屋山からの眺望
14.5.5

 守屋山の東峰から、前出の永明寺山(霧ヶ峰・八ヶ岳)を撮った写真です。逆方向になりますから、今度は前山が邪魔をして、霧ヶ峰から派生する永明寺山の麓に沿った市街地の一部が見えるだけです。当然、前宮や本宮を見下ろすことはできません。

下社秋宮から守屋山

秋宮から守屋山
24.8.27

 諏訪大社下社秋宮の隣にある山王閣の展望台から見た守屋山です。ここからは守屋山の両峰が一望できますが、一山置いての飛地のような山は、富士山や三輪山の山容とは異なり、とても神体山とは見(言)えません。

守屋山から諏訪湖(諏訪大社下社)

守屋山から諏訪湖
27.10.27

 守屋山の西峰から諏訪湖を撮りました。左から、岡谷市・下諏訪町・諏訪市の町並みです。最高峰であっても、諏訪大社上社がある地域を遠望することはできません。

神体と神体山

 ネット辞書の一つ、三省堂『大辞林』を引いてみました。

【神体】神霊が宿るものとして祭ってあるもの。
神霊が宿っているものとして、祭祀に用いられ礼拝の対象となる神聖な物体。古来、鏡・剣・玉・鉾(ほこ)・影像などが多く用いられた。みたましろ。

【神体山】神霊が宿る山として、祭祀・礼拝の対象となる山。三輪山・富士山・日光男体山など。

 明解に、祭祀の対象となる「物・山」を「神体・神体山」としています。ところが、諏訪神社上社に関する古文献と現在行われている諏訪大社の祭祀からは、「守屋山を祀る」ことを見いだせません。

大祝が神体

 宮地直一著『諏訪史第二巻後編』と諏訪教育会『復刻諏訪史料叢書』から転載しました。

当社大祝は此れを神躰として崇敬他に異なるの重職なり、
『諏方大明神画詞』「縁起四」
上宮に御正躰を不用(用いず)、神託云う、吾れに神躰無し祝を以て躰と為(す)矣、
『諏訪神道縁起上』
我が身はすでに大明神の御正躰と罷也候(まかりなりそうらい)ぬ、…、
御神躰とまかりなるうえは、…、
『大祝職位事書』

 中世の文献では「他社と異なり、上社の神体は大祝」と言い切っています。この“論理”では、神体山は必要ないので、それを礼拝する神事がないのも頷けます。

複合する神体

 「大祝が神体」としても、古今東西に数多(あまた)ある書物では、大祝の存在は目に入らぬかのように「神体は◯◯」と書いています。それは、“幣殿の向こう側”に一括される岩や洞と、もっと広範囲の「山」に代表されます。これを諏訪神社上社の“神体の重層”と捉えるか、「神体は幾つあってもいいのだ」と割り切るのか、…悩みます。

(守屋)山を神体とする文献

 ここで、再び「神体山とは、神霊が宿る山として、祭祀・礼拝の対象となる山」を持ち出し、「諏訪神社上社では、守屋山を祭祀の対象としていない」ことを挙げた上で、以降に進みます。

 下諏訪町誌編纂委員会『増訂下諏訪町誌』に、宮坂清通著『別編 諏訪神社の歴史』が収められています。その中の〔上社本宮の社殿〕に、以下の書き出しで始まる一文があります。

この機会に上社本宮は本殿がなく、その背後にある守屋山をもって神体としていることについての文献を列挙すると、前記『諏訪大明神繪詞』や『上社物忌令』のほかに、次のようなものがある。

長文なので、該当するキーワードと『出典』だけを拾ってみました。

 江戸時代以前の文献には漠然とした「山」という表記はあっても、ここには「守屋山」の名は出てきません。この他に一つ挙げると、天明4年に参拝した菅江真澄は「武南方富命の御坐します御簾のうちは、ただ小笹のみ生ひしげりて」と書いています。以降は、昭和の文献・本になります。

 ここに載る山田肇・座田司さんは、「守屋山が神体」としています。しかし、全体を眺めると、究極の第三者である「連合国総司令部民間情報教育部宗教文化資料」の表現が最も的を射ていると思うのは、私だけでしょうか。
 ただし、“書き出し”に「守屋山をもって神体としていることについての文献」とありますから、筆者(宮坂清通)は「幣殿の向こう側から守屋山まで」を一括して「守屋山」と想定していることがわかります。これが、研究者と言われる人達の考えだとすれば、「その通り」となります。しかし、守屋山を祭祀の対象にしていない古今の現状を見れば、「それはまずいんじゃないか」と言うしかありません。

絵図に描かれた守屋山

守矢大神 絵図に、名称としての守屋山が描かれているのは極めて少ないようです。『上社古図』では守屋山に「守矢大臣宮」と書かれ、左の『諏訪藩主手元絵図』では「守矢大神」と書き込んであります。諏訪神社上社とはまったく関係がない、守矢社(物部守屋神社)という“設定”でしょう。

諏訪史談会編『復刻諏訪藩主手元絵図』

“現在”の神体は「宮山」

 明治以降は(生神である)大祝が否定され、(もう一つの神体ともされた)鉄塔も撤去されたので、端的に言えば「形として見える神体」がなくなってしまいました。この大変革によって、原初の姿である“幣殿の向こう側”が神の御坐所としてよみがえったことになりますが、新しく付けられた「御・宮」の名称に難があったようです。というのは、この“山”が里人の山岳信仰「守屋山」と習合して、「守屋山=諏訪大社の神体山」という迷想が生まれてしまったと考えることができるからです。

 諏訪大社上社は、明治以降に新しい信仰体系に変わりました。それでも、ミシャグジが憑依した生き神様──大祝が諏訪信仰の根源になっているのは、年間の祭祀を見ても変わりないことが明かです。もちろん、定義上の「神体が宿るもの」として、木や鏡・山を挙げるのは構いません。ただし、その山に守屋山を結びつけるのは、やはり見当違いと言うしかありません。

根強い「諏訪大社上社の神体山は守屋山」

 「神体山が守屋山」とする話は、“常識”として定着してしまいました。さらに、海外の(思慮深いはずの)宗教者が“それ”に飛び付いたので、逆輸入となった「神体山は守屋山」をまじめに論じている「日本人」が増えてしまいました。平成27年の世ではすでに下火となっていると思っていましたが、今でも散見するので、いかにネットの影響力が大であるのかを改めて感じることになりました。

大神神社の神体山「三輪山」

 山を神体としている神社は幾つかあります。その一つ、古来から諏訪大社本宮の神体山について引き合いに出される、奈良の大神(おおみわ)神社の三輪山に登拝したことがあります。守屋山と違い「御神体」とあってみだりに入山できませんから、社務所に申請して住所氏名を記入し、貸与された白タスキを掛けて登ります。もちろん、登山ではなく「登拝」で、撮影不可でした。


‖サイト内リンク‖ 三輪山登拝記