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諏訪大社は「上社と下社」で「二社四宮」


 上の衛星写真でわかるように、諏訪大社下社は諏訪湖の北岸に、諏訪大社上社は南岸に鎮座しています。「エー、岸辺じゃないよ」と言う声も聞かれそうですが、上古では諏訪湖の湖面は標高約750mのラインまであったそうです。写真では、緑の森林帯がおおよその境でしょうか。そのため、上社と下社は諏訪湖岸に“対峙”して鎮座していたということになります。
 両社はこれだけ離れていますから、下社の春宮・秋宮は下諏訪町、上社本宮は諏訪市、前宮は茅野市と多くの自治体に渡っています。これで、諏訪大社が、人工衛星の目からも二社四宮で成り立っていることが理解できたかと思います。
 諏訪人最大の関心事は、諏訪大社の「御柱祭」です。その祭りも上社と下社に分かれて行われるので、当然の流れとして所属する神社の氏子意識が高まります。そのため、諏訪人の心には、実質的には二つの神社として存在しています。このことを頭に置かないと「諏訪大社」や「御柱祭」を正しく理解できません。

上社と下社

上社と下社
片山展望台から諏訪湖遠望

 なぜ上社が「上」社で、下社が「下」社なのでしょうか。これは単なる字の違いでは済まされません。「上下関係」に発展するからです。私は「先に創建したから上社」としていましたが、最近になって納得できる答を見つけました。
 上社版「諏訪七不思議」の一つに「宝殿の天滴」があります。「晴天でも、宝殿(天流水舎)の屋根から水滴が落ちる」というもので、この滴(しずく)が諏訪湖の“素”と言われています。上社の一滴→宮川→諏訪湖→天竜川→太平洋という水の流れから、上流が「上」で下流が「下」ということになります。これで、水の流れのように淀みなくわかったでしょうか。実は、小巌在豪(小岩高右衛門)著『諏方かのこ』を読んで「ガッテン」しました。これなら、下社側からクレームが付くことはないでしょう。

一、諏方郡
當所にて東南の方を上といひ(言い)。西北の方を下といふ(言う)こと。地形の高低。水の流れに随ていふなるべし。

諏訪教育会『復刻諏訪史料叢書』から抜粋