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諏訪神社と諏訪大社

諏訪神社の時代
 古くから、(呼称は幾つもありますが便宜上の)「諏訪神社上社」と「諏訪神社下社」は勢力を競い、ときには戦火を交えるなど全くの別神社でした。実はこの項だけで一冊の本になるのですが、(畏れ多くも)上二行にまとめました。

国幣中社・諏訪神社の誕生

官報告示(官幣大社諏訪神社) 元号が明治に替わると、「神仏分離令」を始めに次々と政令が発せられました。両神社も、反対論が沸き上がったのにも関わらず強制的に合併させられて「国幣中社・諏訪神社」となりました。しかし、社殿の統廃合がなかったために、一社でも「上社と下社」という二社の形態が残りました。
 その後、関係者の絶大な努力の結果と思われますが、明治29年に官幣中社、大正5年には官幣大社と順調に昇格しました。
 写真がないのも淋しいので、『国立国会図書館デジタル資料』から、『官報』の一部を切り抜き風に加工して転載しました。ここでは、祭神が「建南方刀美命・八阪刀賣命」で書かれています。また、内務大臣「板垣退助」の名が見られるのが、時代を感じさせます。


明治34年の官幣中社諏訪神社上社

 『信州デジ蔵』から、長野県立図書館蔵『信濃宝鑑』所載〔諏訪神社上社之景〕の一部を転載しました。

官幣中社諏訪神社

 縮小したのでわかりにくくなっていますが、拡幅前の境内の様子がよくわかります。

諏訪大社の誕生

官幣大社昇格記念の石柱 終戦を迎えると、神道界は、「神風」より強大な海の向こうからやってきた変革の「ストーム(嵐)」にもまれました。昭和20年に、GHQから「神道指令」が発令されたからです。
 これにより社格制度が廃止となったため、「官幣大社」諏訪神社は「無冠(ただ)」の諏訪神社となり、並み居る分社と同じ名前になってしまいました。「諏訪神社さーん」の呼びかけで一斉に挙がる手や声の中に埋もれてしまうという事態に、「それはあんまりだ」という声が挙がりました。そのため、昭和23年に宗教法人「諏訪大社」と改称しました。
 左の写真は、「諏訪大社」と改称した折りの遺産ともいえる、「官幣」を塗りつぶした「大正5年の官幣大社昇格記念石柱」です。消すことはできても彫り直すことは不可能なので、新しい石柱ができるまでの暫定処置として「大社」を残したようです。“苦肉の”グッドアイデア賞ものでしょうか。
 この石柱はあくまで「昇格記念」なので、社号標と違い下諏訪駅や茅野市内などで見ることができます。いずれも同一規格で造られたために同一の“改ざん”が施され、諏訪大社の変遷をよく現しています。
 こうしてみると、諏訪「大社」として訪れる人は、戦後のたかだか60年余の歴史を見ることになります。