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建御名方命と諏訪大社

 學生社刊「日本の神社」シリーズの一冊に、三輪磐根著『諏訪大社』があります。この本は昭和53年出版と古いのですが、著者が当時の諏訪大社宮司の三輪磐根さんなので、多くの方が目にしていると思います。その中の〔御鎮座と諏訪大社の成立〕には、以下のように書かれています。

 当社の御祭神については、古来いろいろと論議されているが、神社明細帳によれば、上社本宮と前宮はそれぞれ建御名方神と八坂刀売神、下社春宮と秋宮は建御名方神・八坂刀売神・八重事代主神とされている。

 宮司でさえ「(明治に作られた)神社明細帳では」という言い方ですから、地元諏訪では「建御名方命(他)」を口にする人はいません。ことにお年寄りの前で建御名方命を口にすると、必ず「明神様」と言い返されてしまいます。御頭祭や御射山祭において、神輿で御渡するのも「諏訪明神」です。
 一方、諏訪大社境内にある案内板を始め、“全国的”に「諏訪大社の祭神は、建御名方命・他二柱」を挙げています。神社の戸籍である『神社明細帳』に書かれていますから、当然のことでしょうか。

出雲での「建御名方命」の地位

 「建御名方命」でサイト検索をすると、神楽(かぐら)の演目として表示することがあります。「国譲(くにゆずり)」に登場するのですが、建御名方命は、社中によっては命乞いをした情けない神として演じています。

出雲大社本殿の御柱
博物館で展示中だった、発掘された「出雲大社の御柱」

 平成19年5月に、二度目となる出雲大社へ行ってきました。境内では丁度GWに併せた「出雲大社春季例大祭」とある「奉納神楽」の舞台が設えてありました。今日の出演は出雲大社教「神代神楽波積支部」とあります。
 実は、県立博物館が「島根県立古代出雲歴史博物館」としてリニューアルオープンしたので、こちらの方が目当てでした。出雲大社の隣なので、開館前の時間を利用して参拝したというわけです。そんな流れでしたが、演目紹介に「国譲」があったので、地元では建御名方命をどのように演じているのかと見学することにしました。幸いにも昼の休演時間が長いので、それを開館記念特別展「神々の至宝」に当てることにしました。
 まず、挨拶で神楽の解説がありました。「八衢(やちまた・天孫降臨)」と「塩祓」がいわゆる奉納神楽で、残りはストーリー性がある狂言神楽と紹介がありました。聞き違いと思った「終了が4時」ですが、よくも覚えられると感嘆するほど延々と舞うのが神楽です。また、最終演目がこれも気になる「八岐の大蛇」なので、覚悟を決めて今日一日江津市の神楽を鑑賞することにしました。

建御名方命と建御雷命の戦い 子供が演じる神楽も多く、この「国譲」も子供二人でした。写真のように、派手な衣装の建御雷命と建御名方命が戦います。
 プログラムの演目を見ると、「国譲」の横に「【唄】国中の荒ぶる者を平らげし 鹿島香取の神ぞ貴き」とあるではありませんか。『古事記』そのままの展開で、香取神宮や鹿島神宮を褒め称えています。これでは、諏訪大社は堪ったものではありません。『日本書紀』や地元の『出雲國風土記』はどこへ行ったのでしょうか。ストーリー性があるから、面白おかしく取り上げたのに違いありません。

降参する建御名方命 建御名方命が写真のような姿で演じられているのを見ると、出雲では、現在も過去の屈辱を引きずっているように思えてきます。しかし、諏訪大社の氏子であっても、“出雲に入りては”従うしかないでしょう。
 そうは言っても、一連の神楽は見応えがあり楽しいものでした。特に八岐大蛇は歌舞伎の要素もあり、大蛇四頭の揃い大見得には拍手喝采でした。
 話が神楽の内容にそれてしまいましたが、これが、現在一般的に語られている諏訪大社の祭神「建御名方命」の姿でしょう。

上社本宮の成立と建御名方命

 伊藤麟太朗著『新年内神事次第旧記釈義』に収録してある〔『年内神事次第旧記』と『画詞』〕から抜粋しました。
 この二つの記録の性質は、前者は神長官の祭祀の備忘録として、前宮を中心として書かれたもの。後者は諏訪円忠が諏訪神社の御神徳を宣揚せんがため、本宮を中心として書いたものである。もう少し具体的に言うなれば、前宮は天皇族が日本を統一する以前に、固有日本人がまつった稲の神社で、神長官は専らこの神事を司ったのである。『画詞』は本宮を中心として書かれており、本宮とは朝廷が全国の神祇を朝廷系の神に統一するため、先住民族におし附けた人格神「南方刀美命命」神社である。前宮はいわば諏訪神社のかげの神社、本宮は諏訪神社のおもて向きの神社である。

 両書の違いを解説した文ですが、本宮の根本を簡潔に言い表しているので転載してみました。このように、「前宮と本宮・ミシャグジと建御名方命」の関係を頭に入れた上で「建御名方命論」を展開しないと、(ネットでよく見られる)虚論になるのは必定です。
 くだけた言い方をすれば、朝廷が“推薦”する祭神を受け入れたのは、古来からの重要な神事は前宮で済ませばこと足りるので、「評判がよくなくても(誰でも)かまわない」と踏んだことにあるのでしょう。
 当時の情勢では、朝廷に逆らえれば元も子もなくします。そのため、“諏訪の魂ミシャグジ”を守るために、「前宮から離れた地に(朝廷向けの)建御名方命を祀る本宮を造営した」ということでしょう。

再び「諏訪の建御名方命」

 ネットで検索すると、“本神”も驚いているのでは、と思えるほど多くの方が「建御名方命論」を展開しています。しかし、諏訪大社の地元である諏訪では建御名方命の存在感は透明に近く、諏訪大社上社も、祭神が『古事記』でこき下ろされていても、「建御名方って誰? ウチはミシャグジだよ!」と古来からの神事遂行に励んでいます。実際、大祝や神長官などの社家に残る文書には、ミシャグジはあっても「建御名方命」の名前はまったく出てきません。

 ある本に、孤高を貫く(言うことを聞かない)諏訪神社の地位を失墜させるために、神界のトップが、建御名方命の「捏造した履歴」を八百万の神に“公示”したのが『古事記』とありました。正に、言い得て妙です。