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天流水舎・宝殿の天滴

天流水舎と宝殿の天滴 本宮一之御柱から二之御柱へ向かう途中に、「宝殿の天滴」で知られる「天流水舎」があります。「上社七不思議」の一つ「宝殿の天滴」は出典によって字句や表現が異なりますが、ここでは天流水舎の前に掲げられている案内板をそのまま紹介します。

天竜水舎
 俗にお天水と稱(称)される。どんな晴天の日でも雫が三滴は屋根上の穴から降り落ちると云われ、諏訪七不思議の一つに数えられている。旱天の折りにはこのお水を青竹に頂いて持ち帰り雨乞いの祭りをすると必ず雨が降ると云い伝えられる。

 「七不思議」の揚げ足を取るつもりはありませんが、「屋根に穴などあるはずがない。第一雨漏りするではないか」と思いつつ屋根裏をのぞくと、…何と変なパイプが見えます。しかし、“目”を落ち着けてじっくり観察しますが、暗くて詳細が分かりません。取りあえずズームを最大にしてフラッシュ撮影をしました。
 「社殿の中はどうなっているのだろう」と背伸びをしますが、格子があるので覗き込むことができません。[┓]状に連結している手前の小さな社殿(上写真参照)が集水枡らしいのですが、こちらも内部は見えませんでした。

宝殿の天滴「集水筒」 自宅で電子現像すると、「変なパイプ」は、丸太を二つ割りにして作られていることが分かりました。意外と骨太の仕掛けに、パイプの上部に水道菅がつながっており「その時」が来たら密かに蛇口をひねるのだろうか、と考えてみました。しかし、一滴ずつ垂らすのは至難の業と、すぐ安易な発想を打ち消しました。


天流水舎と宝殿の天滴 後日、布橋から天流水舎を見下ろすと、前述のパイプ端が屋根から突き出ているのに気が付きました。高さの関係でよく見えませんから、穴が空いているようにも、飾りの凹みであるようにも見えます。諏訪大社社務所刊『諏訪大社復興記』によると、天流水舎は文政11年(1828年)建造(昭和34年改修)とあります。今でも貫通していて、夜露などを集めようと(努力)する機能があるのでしょうか。雨天時に行けば確認できそうですが、まだ果たしていません。

 「てんりゅう」を何回か変換した中で気が付きました。天竜川の語源はここから来たのでは、ということです。語源というより川の源(みなもと)と言うべきかもしれません。現実(地図)を見るまでもなく否定されますが、諏訪湖を天竜川の源とすれば、この違いはどうでもよいように思えました。

浅草海苔の守護神

 天流水舎を囲む新しい玉垣には、水産関係の漁・貝・海苔に関するあらゆる団体の名が刻んであります。長らく天流水舎との関係が不明でしたが、その後「浅草海苔の守護神」と分かりました。「東京湾の水がわるくなったとき、諏訪明神の御天水を海に注いだところたちまち海苔が蘇生し豊作になった」という話です。この「例」では「水質の回復」なので、単に豊漁を願って玉垣を寄進したのではないことがわかりました。

古絵図に見る天流水舎

天流水舎・宝殿の天滴 諏訪市博物館蔵の「諏訪社遊楽図屏風(江戸時代前期)」に描かれている天流水舎です。テレビ映像を録画してキャプチャーしたものですが、意外と画質がよかったので紹介します。
 左上に「てんりゅう」と書いてあります。屋根には穴らしきものがあり、井戸と思われる板囲いをのぞき込んでる男性がいます。オーバーフローした水が、川となって流れ出ています。

天流水舎 茅野市神長官守矢史料館蔵『復原模写版上社古図』の一部です。屋根の「穴」と井戸から流れ出る「川」が共通しています。
 現在は、天流水舎に付属した井戸の中を確認することはできません。川もありませんが、こちらは暗渠で「清祓池」に通じている可能性はあります。
 気になるのが、天流水舎の右にある「御座石」です。その位置は「現在の筒粥殿跡」に当たりますが、この時代ではここに「御座石」があったのでしょうか。

天流水舎「天龍川水源」 文化2年に刊行された秋里籬島著『木曽名所図会』から「上諏方神社」の一部です。県立長野図書館の蔵書ですが、『信州デジくら』から転載しました。
 左に「天龍川水源」と説明がありますが、社殿は普通の造りで描いてあります。
 直接には関係ありませんが、「大祝のみが歩行を許された」とある布橋に、参詣人が歩いているのがわかります。


天流水舎「天水」 江戸時代末期の『信濃国一宮諏方上社繪圖』の一部です。『信州デジくら』から、長野県立歴史館本を転載しました。
 広めに切り取ったので、名称が小さくなりました。読めるように“そのまま”を書き入れましたが、漢字の表記では「天龍(竜)源」になります。右下に、(多分暗渠から)木樋で放流している様子が描かれています。

これが宝殿の天滴!

天流水舎の「宝殿の天滴」 出典によっては「どんな干天時にも、宝殿から水滴が落ちる」とあります。「天流水舎」ではなく「宝殿」とあるのがミソというか違いです。ある本では、「昼夜軒端(のきば)から三滴は雨水が落ちる」とあります。それなら(ある程度)理解できる、と撮り溜めた写真の一つを引っ張り出しました。
 5月14日の宝殿の写真です。完全な晴天ですが、屋根の茅にたっぷり含んだ前日の雨水が“点滴”のように落ちていました。円内が、水滴が落ちる時の軌跡です。
 その後、古記録では、すべての社(祠)が「寶殿」と書かれているのに気が付きました。「寶(宝)殿」は、神輿が安置された「東・西宝殿」の固有名詞ではありませんでした。

決定版「宝殿の天滴」

 下諏訪町『下諏訪町誌』から〔宝殿の天滴〕を紹介します。この解説が総合的に見て一番わかりやすいようです。

 上社の御宝殿の上は、一年中いかなる晴天の日でも必ず水滴が落ち、これが萱葺きの屋根の軒から点々として落ち天滴の井或いは天流水舎に溜まるといわれ、単に「お天水」とも稱(称)され、干天の折には上社に雨乞いの祈願をかけ、このお天水を竹筒に入れて各自持ち帰り、更に祈願を込めるとたちどころに叶うものとされ、郡内を始め甲州方面から多数の祈願者が集まるのである。又このお天水は天流川(天竜川)の水源とも伝えられている。