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藩主諏訪忠晴公寄進の灯籠 本宮境内

 注連掛鳥居前の左右に「奉献上 御寶前」とある灯籠があるのは知っていました。ただ、玉垣の内側に隠れるようにあるので、私でも普段は目に入らない存在でした。

忠晴寄進の灯篭 間近で観察すると、アズキ色の「神宮寺石」製であることに気が付きました。「柔らかくて細工し易く耐腐食性に優れている」とあるように完璧です。ただし、建造時の姿を見ていないので何とも言えませんが、宝珠は失われているようです。
 銘を読むと「石燈籠二本・諸願成就」で、裏は「寛文七丁未暦・従三位下兼因幡守・十一月吉祥日 諏訪氏源忠晴」とあります。何と、第3代高島藩主・忠晴公の寄進でした。

 「藩主が寄進した石造物」をテーマに調べたことはありませんが、すぐに指を折れるのは、(春宮の大鳥居は「伝」ですから除くとして)下社春宮の前と八剱神社境内にある手水舎の「石水盤」ぐらいでしょうか。何れも、銘が彫ってあるので記憶に残っていました。春宮と秋宮の瑞垣内にも同じ形の灯籠があります。諸願成就ですから、忠晴公が下社にも奉献したのは間違いないと思われますが、銘が読み取れないので断定ができません。

寛文7年銘の灯籠 「寛文」を調べると、1667年です。「諸願」の内容は知る由もありませんが、何か手掛かりがと調べると、父の後を継いでから10年という節目に当たります。年は28才でした。(私の)表現は「家督相続十周年記念」と“軽い”のですが、彼には押しつぶされそうなほど重い10年間であったことは間違いないでしょう。
 左の写真は、後日である10月9日に撮ったものです。陽の傾きで文字の陰影が比較的はっきり出ていたので載せました。

 この日、火袋を目でなめ回すとデザインも彫り痕も違っていました。石質(神宮寺石)も異なっているようです。鳥居側から見て、右灯籠の火袋が後世に補完されたことがわかりました。笠より火袋が小さいので、浅く彫られた接合面に隙間があったからです。他人から見れば「どうでもいいこと」ですが、何しろ、重箱の隅を突っつくのが好きなので…。