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諏訪大社上社筒粥殿跡

諏訪大社筒粥殿跡
ダイモンジ草の群落が満開でしたが、灰を撒いたような…

 各地の神社では、現在も筒粥神事が行われています。しかし、諏訪大社上社では、「上社筒粥殿跡」の案内板があるだけです。
 『伊藤富雄著作集 第二巻』には「上社においては天正以降廃絶に帰したが…」と書かれ、宮坂光昭著『諏訪大社の御柱と年中行事』では

宝暦年間(1751〜63)の記録では、本宮境内で行われていたことがわかる。(中略) 上社の筒粥神事は中断してしまった。ただ、筒粥神事の遺構というべき方形の石囲いの火地炉が、天滴水舎近くに残されている。

とあるので、記録の上からは明和以降には筒粥神事は廃れていたことになります。
 一方、伊藤麟太朗著『新年内神事次第旧記釈義』では、『年内神事次第旧記』に書かれた「御宝殿の正面みかしき殿にて御手幣ありて」を挙げて、写真の石(方形の石囲い)は「御炊所の炉石」と論じています。

現在御炊所の遺跡である「ひじろ」の跡が残って居る。これは交通の邪魔になるので、石垣のそばに片寄せられている。この御炊所は文明十六年(1484)頼満祝の職位式の時には、すでに上壇に移って居たらしい。

 私は《宝暦年間の記録》を自分の目で確認できていないので、本宮では筒粥神事は行われなかったと考えています(前宮で行われた)。

中世の筒粥神事は「ヘビを燃やした」

 諏訪文化社『諏訪大社の御柱祭』には、「中世の上社(※前宮)筒粥神事では蛇を燃料にしたと書かれ、諏訪神社の御正体とも言われる蛇を焚くことでその占いが神意そのものと解せることができる」とあります。
 最後の仕上げに一匹だけを燃やしたのか、または大量のヘビが犠牲になったのか、その詳細はわかりません。「倉庫に大量のヘビが干物に加工されて吊るされていた」と想像すると、ますます諏訪神社の謎とルーツが…。このことから「上社の周辺では今でも蛇がいない」という話をよく聞きます。しかし、それはここだけの作り話なので、決して口外しないでください。

 ヘビが気になって、引用元の『諏訪史 第二巻後編』を開きました。確かに「その次第、舊記及び次第によるに、…之に五穀を入れ、蛇を焼いて筒粥を煮、…」と書いてありますが、その原典『年内神事次第旧記』に「蛇…」の記述を見つけることができません。宮地直一さんが参照した別本の『舊記及び次第』があるのでしょうか。

筒粥殿跡の「炉石」

筒粥神事の炉跡 『諏訪大社の御柱と年中行事』に載っている写真に炉石が写っていることに気がついたので、巻末を確認すると平成4年の発行でした。
 平成18年の10月。「もしかしたら」と地面を見つめると、わずかながらもコケで覆われた炉の一部とみられる石がありました。しかし、その後は覗き込む度に埋没が進み、「年々影が薄くなる」を実践しています。

諏訪大社の筒粥神事 平成22年は御柱年とあって、「建て御柱」の期間中は、筒粥殿跡を囲っている木枠(玉垣)が通行の障害になるために隅に寄せられていました。所構わず通行する人に“蹂躙”されのでしょう。靴底でクリーニングされた炉石が浮き出ていました。
 木枠が現状復帰したので確認すると、写真のように整備されていました。丸い凹みは何かを固定するためと思われますが、人目があるので、掘って深さを確認することはできませんでした。

中世の筒粥神事 24.1.9

 武井正弘著『年内神事次第旧記』から、まだ前宮で御室神事が行われていた頃の「筒粥」を転載しました。

晦日夜の御幣之串の葦を正月十四日夜、筒に切て五穀を当て当てに名を書き付て筒粥を煮る、是にて御五穀を占う、此筒粥を同十五日御神事之時、五願(五官)・民人是を拝す、大明神に向け申時申立、

 伊藤麟太朗著『新年内神事次第旧記釈義』では、「大明神に向け」を以下のように解説しています。この一文は、私には大変示唆的に読めるので全文を転載しました。

大明神=これは難題である。筒粥神事は御室の神事であるから、祭神は人格神ではなく精霊である。次に出てくる祝詞も、人格神にささげたものではなく、精霊神にささげたものである。しかるにここには大明神とある。しかれば御室で行った筒粥神事の結果の御披露を、本宮の神前でしたかも知れぬ。一体諏訪神社の祭神は、建御名方命となって居るが、旧記、次第共それらしき事を記したものは絶無である。匂いさえしない。とすればこの大明神とは、大祝の先祖、神氏の事としか考えられない。この本宮における御披露は退転し、現在拝殿前の巫女の田舞いとなったのであろう。

 伊藤さんは、本宮の神前=大祝の「先祖の前」で筒粥占いの結果を奉告したと推察しています。これを踏まえた上で『年内神事次第旧記』を読み直すと、一般民衆は筒粥を拝するだけで、占いの結果は、あくまで氏神と神氏(諏訪氏)一族に披露したということになります。民衆不在の占いとあれば、これが早くに廃れたのは当然ということになります。

 私は「本宮は大祝の先祖(代々)の墓」と考え始めているので、この記述に、その舵取りが間違っていないのを確信しました。