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『信濃國一宮諏方上社繪圖』 '21.10.16

古絵図に見る上社本宮の片拝殿

 長野県立歴史館蔵『信濃國一宮諏方上社繪圖』(以下『絵図』)があります。右下に「諏方上宮副祝(印)」が読めますが、五官の副祝(そえのほうり)が発行したのか、単なる承認済みの証なのかはわかりません。

信濃國一宮諏方上社繪圖

 絵図には「沓石」のみが描かれ「硯石」が存在していないのが不思議ですが、それは置いて、右上の、今で言う幣拝殿に注目して下さい。

拝殿と浜床 拡大すると、拝殿の左右に並ぶ(現在の呼称)片拝殿に「ハマユカ」が書き込まれています。「浜床」とは最下部の床のことですが、それはともかく、左右の造りが異なっていることがわかります。
 現在目にする立川和四郎富昌が建築した幣拝殿と左右対称の片拝殿の姿が余りにも強すぎて違和感を覚えますが、これが当時の景観となります。

境内図
宮地直一著『諏訪史 第二巻後編』(部分)

 それを裏打ちする『上宮諏方大明神繪圖』(1792年)では、社殿の大きさと建坪が書かれています。
 平面図なので具体的な形状は不明ですが、『絵図』を参照すると、右の片拝殿は大棟がある屋根で中間に柱があり、左側の片拝殿は前面に階段(きざはし)がある簡素な屋根付き廻廊であることがわかります。『絵図』の名称から、原初は、浜床に簡素な屋根を覆ったものだったのかもしれません。

『信濃國一宮諏方上社繪圖』の出版年

 『絵図』の出版年は幕末と大ざっぱでしたが、二つの建造物から、やや狭めることができました。

鳥居と入口御門
四之鳥居space入口御門

 まず、手前の四之鳥居が石造として描かれているので、その竣工年の文化二年(1805)より後ということがわかります。また、布橋の左端に入口御門が描かれていますから、文政12年(1829)以降の作となります。これで、現在の幣拝殿が天保6年の造営なので、1829年から1835年の間に作成されたことが確実となりました。

 この『絵図』に描かれた幣拝殿は旧乙事村の諏訪神社に移築されましたが、今まで漠然と思い込んでいた「片拝殿も移築」は無かったことになりました。