Googleマップの衛星写真を拡大し、社殿の屋根の形状と大棟にラインを引いてみました。ただし、それには影があってハッキリせず、樹下に隠れている部分もあるので凡そのラインとなります。
この作業中に、片拝殿の屋根の一部が宝殿を覆っていることに気が付き、これが地図に片拝殿と宝殿が一体化して描かれている要因と気が付きました。
それ以上に、学術書を始めとする多くの境内図はルーペで拡大しないとわかりませんが、ここでは、布橋・四脚門・幣拝殿(片拝殿)のグループに対し、宝殿二棟が2度ほどズレているのが識別できます。これで、私が言う「布橋は、東・西宝殿を結ぶ横軸と平行ではない」ことを視覚的に示すことができました。
標題の設定でラインを引いたものが、下図の衛星写真です。
冒頭の拡大写真に、そのラインを加えてみました。ところが、幣拝殿の縦軸とはズレ、むしろ宝殿の横軸(大棟)に平行しています。
宝殿は諏訪神社上社の草創期から連綿と建て替え続けてきたとされていますから、古(いにしえ)の社壇配置を今に記憶している社殿と言えます。そのため、本宮の参拝線は「(厳密には)宝殿と前宮神殿跡を結んだライン」ということになります。
一方で、幣拝殿の縦軸「118度」は「この地における1600年初頭の冬至日の出ライン」ですから、「おー、これは」と声が出てしまいます。
ただし、前方(前宮方向)には片山が張り出ているので、尾根上から登る太陽では日の出ラインとして設定することはできません。
何より、118度は現代の数学から割り出した地平線上の方位角ですから、それに飛び付くことはできないことになりました。
衛星写真を見れば、後世の産物である幣拝殿と布橋は、宝殿と「2度以上」の角度を付けて造営したと考えてしまいます。「その程度なら問題外」との声も聞こえそうですが、下社の幣拝殿と神楽殿も同様にズレていますから、神社の造営について一定の法則があるのかもしれません。
適確な言葉が思いつかないので「本殿と拝殿のズレ」で検索すると、それについての記述はヒットしません。諏訪大社のみの造営規格とも思えませんから、他社では気に留める様な要素ではないのかもしれません。しかし、性格が真っ直ぐと言うより、几帳面が度を過ぎている私とすれば我慢できないズレです。
ここまでの流れとして、布橋を含めた上社の社殿は118度の方位角で造営したのではなく、その地形の等高線に沿って造営したと考えました。
上図の赤線は、諏訪湖西岸から前宮まで続く活断層線です。前宮で止まっているのが何とも怪しく見えますが、それは置いて、118度の方位角(━)を引くと見事に断層崖に重なります。このように、その角度で発生した断層崖に沿って社壇を定めたのが諏訪大社上社本宮と結論づけました。