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牛馬頭観世音 富士見町御射山神戸 24.8.9

旧甲州街道

 国道20号「神戸八幡(ごうどはちまん)」の信号から茅野市方面に向かうと、すぐに、左へ分かれる坂道が現れます。現在も残っている旧甲州街道で、街道歩きが目的の人はこの道をたどることになります。

石造物群

 分岐から150mも歩くと、右方に写真の石造物群を見ることができます。集落内からこの一画に集められた馬頭観音がほとんどで、「文化・文政」など江戸末期の元号もありますが、明治・大正・昭和の馬頭観音も多くあります。農耕用の他、街道沿いという環境もあって「中馬」に使われた馬を供養したものも多いと思われます。
 その白さ故に、この一画から閉め出されたかのような「牛馬頭観音」があります。多くの仲間に受け入れてもらえない理由は、平成八年という新しさにあります。すでに飽和状態にありますから、「席を順に詰めて」という手が使えないのでしょう。その状況から、どうしても目が向いてしまいます。

牛馬頭観音 「青・チビ・花」と名前が彫られていますが、それぞれが馬なのか牛なのかわかりません。現在では馬の名前というと競走馬のカタカナ名しか浮かびませんが、「青」だけはネコの「トラ・ミケ」と同じで、馬の“代名詞”「アオ」とわかります。「チビ」は成馬にならないうちに死んだ。「花」は牝の牛と想像してみました。
 目立つ条件が重なっていますから、多くの人が立ち止まってそのイメージに重なる牛馬に想いを寄せているようで、「甲州街道・道中記」のHPやBlogにはよく登場しています。“歩く人”には各々の“ペースに応じた時間”が流れていますから、今の私は、さらに他の観音様にも付き合うことにしました。

軍馬

 左側には比較的新しいものが多く、これが「昭和」の“書式”なのか、馬の名前「萬来號・名馬あか號・北洋号」と建立者の名も彫られています。

軍馬頭観世音 昭和が多いので、ヒョッとしてと予想した「軍馬」を見つけました。写真中央がそれで「軍馬桑宮號観世音」とあります。軍馬は軍事用に徴用された馬です。戦地へ送られて兵器や物資の運搬に使われたそうですが、文字として見るのは初めてでした。右に「昭和十八年一月八日」左に「昭和十八年九月八日◯◯建」とあります。戦死の報が入ってすぐに石工に依頼し、八ヶ月後の同日に建立したと想像してしまいました。

昭和十二年 軍用馬匹(ばひつ※馬)の徴発有あり、富士見村百四十六頭、神戸分三十四頭、八幡社にて壮行式、区より日の丸一本宛贈る(十月十二日)

小林浦光・伊藤勘編『御射山神戸区史』〔御射山神戸年表〕

 ネットで「軍馬」を検索したところ、北海道新聞『戦後60年戦禍の記録』を見つけました。「戦後60年軍馬の涙《下》抵抗の跡」から一部を転載しました。

 人間にすら「生きて帰って来い」と言ってはいけない時代。まして軍馬は、戦地に赴けば二度とふるさとの草をはむことがないのは想像に難くない。「つらいどころではなかったよ」

 常套句の「古里の地を踏む」が「草を食む」と表現されており、ついホロリとしてしまいました。今月は、例年なら「終戦特集」が定番になっているのですが、すっかり「オリンピック特番」の陰に隠れています。私もその報に一喜一憂していましたが、その中で、「馬頭観音」から、いみじくも八月に相応しい内容になりました。

「青」と「あか」

 少しだけ知識を増やそうと、“ネット”で調べてみました。大ざっぱですが、毛色から付けた名前が「黒っぽい毛の馬が青(あお)で、赤毛の馬が赤(あか)」と知りました。