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三輪山登拝記 奈良県桜井市

狭井神社(さいじんじゃ)

 去年の今日(勤労感謝の日)、天理から奈良まで歩き、紅葉の美しさを十分楽しんだ。
 今年も二匹目を狙って奈良へ繰り出した。今回は北から南へ、天理から桜井までの山辺(やまのべ)の道だ。このコースは二度目で新鮮さは無いが、別の楽しみがあった。
 今年は、同じスタート場所となった石神(いそのかみ)神宮のモミジは紅葉の盛りを過ぎていたが、大イチョウは未だ黄色一色になりきれずにいた。
 大神(おおみわ )神社の手前に小川がある。「狭井川」と表示された説明板が無いと、知らずに通り過ぎるほどだ。小川だから狭い川という訳ではなく、「狭井とは山百合を意味する、云々」と書いてある。
 狭井神社の楼門の手前、右手の山際に小さな冊があり「本日入山禁止」の札が掛かっていた。今回最大の目玉が三輪山登拝であったから、その衝撃は大きかった。それでもと、左手の社務所の神官に尋ねると「今日は例祭のため、原則として入山できません」と言う。
 日常生活においては何事にも諦めが早く、「ダメ」と言われればすごすごと引き返す自分だが、旅にあっては「恥の掻捨」という社会的にも認められた強い味方もあって、「原則というと例外があるのですか」と食い下がった。「やむを得ない事情があれば許可しますが」との答えに、長野から遥々来た・もう二度と来られないなどと切羽詰まった理由を並べ、「何とかお願いしたい」と頼み込んだ。ところが、「今回だけですよ」と、渋る言葉とは裏腹にあっさり許可してくれた。
 住所氏名を書き入山料二百円也を払うと、三輪山参拝証と書かれたタスキと「心得」、さらに数字の書かれた札(紙片)を渡された。「9」の数字は本日9人目ということか。

三輪山へ

 山への取り付きは意外に急坂で、参拝者の声も、急に、下に、遠くなった。尾根筋に出てなだらかになると、早くも一服と立ち止まり「心得」を取り出した。

入山者の心得
 大神神社は古来より御本殿がなく、三輪山は神霊の鎮まります神体山として信仰され護持されている神聖な御山であります。
 この御山は無断入山することは出来ません。但し特に登拝を希望される方は摂社狭井神社受け付けに願い出の上、左の定めを必ず守って参拝して下さい。

 「定」には、主な項目が6点ばかりあるが、その初めの項の「お祓いをして…」の文字が引っかかった。一人きりの受け付けの神官は「心得を読め」と言ったきりでその気配は全くなかったし、場所の指示もなかった。何回も読み直した。「お祓いを受け」と書いてないから、「して」となると自分でしなければならない。もっとも、神社側とすれば二百円ではそこまで面倒見きれない、というのが正直なところだろう。
 シダ類とツバキが多い中、葉が茶色に枯れている赤松の倒木が目につく。マツクイムシの被害らしい。神木は杉だから、神様も松までは手が回らないのは致し方ないところか。
 少し下ると沢沿いの道に変わった。左手にミニチュアの祠が二つあり、5センチほどの白い磁器の狐が四体置かれている。お稲荷さんだが、三輪明神との関連は不明である。その右手の杉の根元に、同じ大きさの白蛇が宝珠に巻き付いた姿の、これも磁器の置物が数体安置されていた。二本の榊の前には、10センチ角の懐紙にそれぞれ丸モチ二枚(径5センチ)・赤飯・煮干し・塩等の供物が置かれている。「心得」には供物の持ち帰りが義務付けられているから、例祭に使用したのだろう。
 沢の水音も清らかに響く日陰の湿った山道にはゴミが全く見当たらず、俗世間から隔絶された様に、標高の低い割には深山の趣がある。しっとりとした冷(霊)気を感じる空気を突っ切って登るが、色が乏しく紅葉には無縁の山である。
 三光龍体舎と書かれた小屋が現れた。中をのぞくと、ゴム草履が幾つも置かれ、壁には白衣が掛けられている。信者の水垢離用に用みずごり意された施設だ。しかし、ツートンカラーのビーチサンダルには何 か割り切れなかった。「ここは、やはり草鞋であって欲しい」と思ぞうりうのは、ロマンを求める旅人の勝手な想いだろうか。
 祈りの声に誘われて小屋を通り抜けると、三角に組まれた石組みから細い一筋の水(滝)が落ちている。一心に祈る女性の後ろに、数名の男女が同様に頭を垂れ身じろぎもしない。子供だけが、近づいた自分に振り返った。
 左手の山側の斜面に、大小の黒い石が頭を見せ、その中の幾つかに注連縄が掛けられている。辺津磐座(へついわくら)だ。

【磐座】 古代、心霊が宿るとされた石。辺津・中津・奥津と三段階ある。この呼び方は、「海の正倉院」とも言われる沖の島の中津宮・大島の中津宮・辺津宮の宗像(むなかた)大社がある。

 ここは史跡ではない。我々の知らぬ世界で古代から現在まで連綿と祀られ、さらにこれからも永劫に続くであろう現役の祭祀場だ。
 チェンソーで切断された、径60センチもあろうかという松が斜面にゴロゴロしている。麓から見る神聖な山も山中ではエンジンの唸り音が響いている現実に、神社側もさぞ苦慮していることだろう。
 やや開けた緩斜面に、やはり様々な黒石が「散乱」している。中津磐座で、注連縄が掛けられていなければキノコ取りの山中で出会う石と変わらないではないか、と思うほどの「極普通の石」である。このような印象を持つ人間には「不敬罪」で祟りがありそうだが、…やはり下山後祟ってしまった。
 ゴミが全く落ちていない。唯一の例外が沢筋の石に置かれた軍手一対だった。おそらく伐採作業員の忘れ物だろう。
 麓から眺めると裾広がりの流麗な姿もなかなか急で予想外に時間がかかり、しかも展望が全く利かない原始林に覆われた神体山にはいい加減うんざりし始めた。登山道脇の石に、清酒一合瓶がキャップを外した状態で置かれ、生卵が供えられている。

三輪山に立つ

 なだらかな山頂(標高467m)は予想通りだったが、展望が全くきかないことから山の頂に立っているという実感はない。
 垣で囲まれた高峰(こうのみね)神社の祠は、正面から見て逆台形状の空堀の中に座している。祭壇に、饌米とパック入りの生玉子が置かれ、玉子は隅の一個を抜いてパックの凹みにさし込んである。清酒の一升瓶も栓を抜いた状態で供えられている。地面には清めの塩もまかれていた。
 一人の若者が現れた。持参の一合瓶の酒をまき、壇上の供物の卵を一つ手にすると穴を開けてすすってしまった。親子らしい男性が左手のまだ先へ続く道の奥から現れ、ベンチ状の石に座り祠を眺めながら話し込み始めた。さらに、二人連れの年配の男が現れた。驚いたことに地面に正座し、柏手を打ってから一礼し、「これから供物を下げさせてもらいます」と口に出してから片付け始めた。当然玉子が一個足りないのだが、べつにいぶかる素振りも見せず、極自然に上の卵を元に戻してザックにしまいこんだ。短時間の内にこれだけの人間がここで出会ったのも不思議だが、皆奥から姿を見せたことから、この先に奥津磐座があるらしい。
 左手に続く道に踏み込むと、ショートカットの髪をした中年の女性が一心に祈っている後ろ姿が見え、その向こう側に奥津磐座が広がっていた。やはり大小様々な黒い石が累々とある。中央の注連縄が掛けられた石はさほど大きくない。磐座のイメージは巨石とあったから、やや拍子抜けした。荒縄二本と茶色の麻縄だろうか、計三本の縄で囲まれた結界沿いに裏へ回ってみた。極簡単(質素)に設置されている囲いは途中から無くなっていたが、流石に中へ入ることはためらわれた。
 先ほどの女性は自分の存在に気が付いているとは思うが、全く眼中に無いように声を出し祈っている。滝で出会った人達を含め、神とは無縁と思われる年代の人々の祈りをかいま見て、今だ神仏に頼る事のない環境にある自分ではあるが、逆にその事を神仏に感謝し祈らなければならないのだろうかと、少しだけ祈りの世界に引き込まれた。
 戻ると、男達はすでに下山し、祠の周囲は再び神さびた空気に包まれていた。その「気」に少し触れてから下山を開始した。中津磐座を過ぎると、下から賑やかな声とともに見覚えのある人達が登ってきた。滝での敬虔な祈りの姿とは別人のようにハイキングを楽しむ姿と、若く華やいだ挨拶に複雑な思いがした。
 ザックには果物やパン、サーモスには熱い湯があり、適当な所で昼食でもと考えたが、「定め」の最終項に「弁当など食べないで陰徳を積みましょう」とあるのが頭に残っており、下山してからと我慢する。尿意を催してきたがこれも我慢した。木曽の御岳山では「懐紙を敷いた上で用を足す」と聞いていたが、ここではそれも持ち帰らなくてはならない。「禁止」となると、かえって各種の生理現象が続けて起きるのが不思議だ。オナラは耐えきれず、「ご免なさい」と心で断ってから静かに放出した。結局、空腹と膀胱の圧迫感を抱えたまま下った。
 タスキと番号札を返してから礼を言うと、再び「登拝禁止日は避けて下さい」と念を押されてしまった。
 隣の大神神社に近づくにつれ、老若男女・姿形を問わない人々が徐々に増えてきた。境内は元来参拝客が多い上、七五三とも重なり大変な賑わいだった。さらに農産物品評会の会場でもあったらしく、野菜の束や巨大なカボチャを抱える人の往来と片付けの騒ぎに巻き込まれ、ウロウロしながらようやく見つけたトイレに駆け込んだ。案内板で見た無料の休憩所もお祓いの待合室と化しており、昼食はまたお預けとなってしまった。

山辺の道で祟られる

 山辺の道(南)は北の天理市と南の桜井市が両起点で、その中間点では行き交う人で大いににぎわう。しかし、大神神社を過ぎ、古代史や万葉集に関心を持たない人は知らずに通り過ぎてしまう海石榴市(つばいち)を後にすると、ハイカー姿は自分一人となった。一般車道の歩きになると、行き交うのは車だけだ。
 甘栗を取り出し、歩きながら食べ始めた。やめられない・止められないと食べるのに熱中し過ぎたのか、桜井市内で駅への道を失った。右手に線路を見ながらの、間違えようの無い道も行けども駅がない。結局、キャッチボールを楽しんでいる子供達の中に割り込み、「桜井駅はどこ」と聞く羽目になってしまった(結果論だが、単に「JRの駅は」と聞けば良かった)
 桜井駅を出てすぐ北へ九十度曲がり、すでに奈良を目指している線路を右手に見ているから永久に桜井駅に着けないわけだ。ここはJRと近鉄が交差している地点で紛らわしいのは分かっていたし、前回は、悩みもせず極自然に駅にたどり着いたのだから不思議だ。
 やはり「たたりじゃー」なのか。御山を、興味半分・物見遊山気分で登り、オナラを連発したのが祟ったのか、あのお稲荷さんとの関連性を疑ったために化かされたのか。しかも今地図を見ると、引き返した地点から次の三輪駅へはたったの500mだ。桜井駅しか頭になく、戻った1.2キロの道のりと、「一電車遅れたために素敵な出会いがあった」という事もなく、靴底が減っただけだった。

平成4年11月