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鬼ノ城〈温羅遺跡・古代山城の旅〉 岡山県総社市

血吸川

 岡山市と倉敷市を底辺とする三角形の頂点にあたる一画に、温羅遺跡(うらいせき)と表示された朝鮮式山城がある。その東側に、南へ流れ出たもののすぐに名前が変わってしまう小河川「血吸川」がある。なんとも恐ろしい名だが、蚊が大量発生するとか巨大ヒルが棲息するとかの類(たぐい)ではない。吉備津彦命(きびつひこのみこと)の鬼退治伝説で、戦いに傷ついた鬼・温羅が流した血が川となったとある由緒ある現存する川の名である。
 緩やかに蛇行する血吸川は、護岸工事などの人工物が少ない自然な姿だった。その天井川は、一段下に広がる秋の田のそちこちにかたまっている家並みを見おろしながら、人間が勝手につけた名前には無頓着におおらかに流れている。その堤防上に造られた道は、未だ勢いのある夏草の攻勢にひるみながらも、一心同体の川と共に正面に壁のように連なる山並みに向かって延びている。
 いつの間にか川から離れていた。徐々に道が狭まると「鬼ノ城ハイキングコース」の標識が現れ、その脇から小道が山に続いている。ここまで来ると山の形は分からずただ上を仰ぐだけとなる。一旦は歩くことも考えたが時間が限られている。再び、まだ上に延びる車道をたどる。集落の中に見え隠れしている道が完全な一車線とわかった時点で諦めて引き返した。最短距離と名前の奇抜さに惹かれたコースだが、「P二百台」とあるガイドブックの説明とはかけ離れている。もう一方の、大回りだが西側の道がメインなのだろうか。

鬼が造った城

 鬼ノ城への道は、標識は完備しているがかなり狭い。こんな山の上になぜ人家が、と驚いているうちに峠に着いた。3時半だった。丁度池が干上がったような広い駐車場には一台の車もなく、日も陰っているので寒々としている。それでも史跡入口の案内板近くには5、6台の車が並んでいるが、人の姿はない。
 富裕柿を一つウェストバッグに入れ、案内板に「外周2.8キロ・見学所用時間2.5時間」とある史跡「鬼ノ城」へ向かった。5分の上りで、展望台への分岐を左に見て周回コースに入る。土塁や石垣に沿ってやや下ると視界が開け、黄色に染まった吉備平野が見おろせた。
 幾筋かの煙がたなびいている。近くの家々の壁は夕日を受けてくっきりと輝いているが、彼方の、再び平野を閉じている山並みは、釣瓶落としを予感させる紫の大気の下に霞んでいる。右手の尾根は山襞の陰が幾つも延びて立体感があるが、左の未だ太陽の直射を受けている山並はノッペリしている。諸々の音が合成された低い唸り音が平野の底から伝わってくる中で、吉備線の電車が通過音と共にゆっくり流れて行く。里は黄金色の収穫の秋だが、「国見」する旅人の周囲は太陽の恵みも薄く寒々しい。
 枯れ始めた下草と葉先を固く丸めた羊歯類を左右に分けた道を、ここから見えるはずの倉敷の街並みの賑わいを想像し、大型史跡にも関わらず文献に残らなかった謎を考え、鬼ではなくこの石垣を築いた人々が確実にいたことを思い、そして自分自身取り留めの無い問答を繰り返し、柿をいつ食べようかと悩みながら歩を進めた。
 石積みには知識がないが、谷側に10メートル近く続く石垣の傾斜が垂直に近いのに驚いた。地形上やむを得ずなのか軍備上の拠点なのか、そこまでやらなければならなかった理由は、今となっては推察することもできない。水門跡がある。「跡」だけあって、今は水たまりもなく乾いている。一段下りて覗くと、長い年月で変形しているが、50センチ四方の穴は反対側の10メートル先まで見通せる。暗い林間に水がチョロチョロ流れている水門もがあったが、門自体は押しつぶされ土砂で埋まりその役を果たしていなかった。この辺りから花崗岩の大石が林間にゴロゴロと姿を見せ、石材の豊富なことも城を選定した一因のように思われた。
 自分の影が進行方向に長く延びている。それが右方向に位置を変えると、同じ等高線上の尾根の先端に大掛かりな石垣があるのが見通せ、その上に人が動いているのが確認できた。「第一城門跡」はその形がよく分からなかった。「礎石群へ500m」の道標に惹かれたが、気分が乗らずにすぐ引き返した。
 単独行の男性が現れた。挨拶だけでは済まないような状況は、ここまでわざわざ足を向ける“同類項”への親しみが作るのだろうか。しかし相手は乗らず、一言二言交わしたのみで横を向いた。
 尾根上は意外なほどの平地が広がっていた。ここが鬼ノ城の中枢らしく「史跡・鬼ノ城、標高400m」とある木製の大型標識が建っている。隅には礎石らしい方形の石が二組、直列に5、6個並んでいる。石碑も何基かあった。沢音がここまで伝わってくる深い谷をのぞいた。紅葉と常緑樹の間から巨石が幾つも顔をのぞかせている。この付近は特に大石が多く、道脇にも10メートルはあろうかという大きな一枚岩が横たわっている。
 コースの半分を終了すると、もう気分は「帰り」で、日陰の道を早足で上り降りする。太陽が正面に見える。案内板の地図から、残りの外周部は土塁が続くだけと判断し、池が六ヶ所あるという内部へ足先を向けた。やや傾斜した平地に倉庫があったという礎石群がある。下草が刈り払われて空虚さを増した疎林の下に目を遣ってから、先を急いだ。何ヶ所か現れた池も、現在では名のみの湿地で気味がわるい。足早に通り過ぎた。
 パノラマの展望図があった。枯れ葉の間から表示名と交互に見比べる眺めは、この時間ではすでに暮色に沈んでいた。全国でも四番目という全長350メートルの造山古墳も尾根の一部としか見えず、作山古墳のある辺りはさらに青く霞みその存在もハッキリしない。カサコソ鳴る落ち葉と梢先で騒ぐ乾いた葉が気になると、わずかに残っていた体の火照りが消え背中の汗は冷たくなっていた。
 駐車場に戻ると、2台の車が忘れられたように残されていた。岡山ナンバーの持ち主は、今頃どこをさ迷っているのだろう。4時40分だった。

平成4年11月