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坂室の横ずれ断層 茅野市坂室 1.8.31

御射山道

 諏訪大社上社の御射山祭では、御魂代を安置した神輿は、古来からの「御射山道」を使って酒室神社へ立ち寄ります。

御射山道 同じルートを歩くと、国道20号(現在は県道197号)に突き当たります。
 その向こう、中央の青い水槽の左脇を奥へ延びる小道を、私道ではないかと気をもみながら踏み入ると、すぐに右に曲がり、坂室公民館の脇を通って酒室神社の前に出ます。
 その道を御射山道の続きと考えると、手前の道を右側だけ拡幅して車道にしたとしても、その差以上に左へズレていることが不思議に見えます。

御射山道 反対側の酒室神社側から撮ったものです。ちょっとした鍵の手とも言えそうなほど食い違っています。
 8月最後の日に二度目となるここに立ったのですが、水量は変わらずに豊かでした。

 地図を眺めていると、用水路があります。「もしや」とストリートビューで確認すると目論見通り食い違っています。
 現地で水路を正確に背にして正面を撮ると、御射山道と同じにズレていました。


『地理院地図』(名称等を記入して加工)

 地図上ではその差は微妙ですが、地理院地図の最大拡大図を転載しました。
 これが私にとっては平成18年以来の謎でしたが、令和元年になって伊藤文夫さんの講演を聴いたことで、「地殻が国道を境に、今でも左右に動いているのではないか」との考えに至りました。冒頭の画像「青い水槽」が、断層崖によくある湧水とも見えるからです。

プルアパートベイズン

 6月22日に、諏訪市教育会館で「諸説 諏訪盆地の地形・温泉・御柱・文化財」と題した講演会がありました。その時に(関係者以外は誰も知らないが)世界的に有名という茅野市坂室の断層を知り、「プルアパートベイズン」という用語を耳にしました。

1)プルアパートベイズンとは、横ずれ断層の不連続部ないし屈曲部において、横ずれ断層の変位が累積することにより形成された地殻の陥没地、または地殻の空隙のこ とをいう。死海がこの好例である。

『諏訪盆地の形成』の「注」から転載

 よくわかりませんが、諏訪盆地(諏訪湖)は「プルアパートベイズンによってできた」と理解してみました。


『地理院地図』〔活断層図(一部)〕を一部加工

 これに意気込んで「御射山道のズレは断層によるもの!!」と地理院地図の〔活断層図〕を参照すれば、横ずれの方向は合っていますが、断層線は国道からやや離れて走っています。
 これでは、私が唱える「国道を挟んで」は無効となります。ところが、断層線が中央を通過している凹地()が、「左右対称」という不自然な地形であることに気が付きました。しかし、地理院に異義を申し立てるのも面倒なので、私の仮説は一時棚上げとしました。


第5図茅野市坂室付近の地形面区分と地の断層(部分)

 8月に入り、講演会で紹介された藤森孝俊著『活断層からみたプルアパートベイズンとしての諏訪盆地の形成(※以降『諏訪盆地の形成』)』をダウンロードしてみました。
 〔X. 断層変位地形の記載と変異様式・変位速度〕から[1.茅野市坂室]にある添付図を見ると、地理院の地図とは異なったラインです。
 こちらでは凹地の縁(へり)も同時に動いたことになるので、理に叶っています。私は「こちらが正しい」として、再び出発進行となりました。

茅野断層は直線

 衛星(航空)写真では、木々や建物があって高低差がわかりません。何かないかと『国土地理院』にすがると、〔傾斜量図〕がありました。


『地理院地図』から傾斜量図を転載

 左上にマーキングした部分は、蟹河原(がにかわら)遺跡から葛井神社の先まで見られる、いつかは『ブラタモリ』に紹介させたいと思うほど顕著に見られる断層崖です。右下()は、東西(左右)の地形からその間が断層線と確定できる場所です。
 その双方を結ぶと、断層崖のラインとも重なります。


「550m右に戻したとき(約65,000〜55,000年前)」

 そこで「断層線は直線」で間違いないとし、そのラインで切り抜いて“令和の大断層”を発生させることにしました。
 その前に、私の都合に合わせて動かしたと言われないように、『諏訪盆地の形成』がシミュレートした左図を用意しました。



(左右の画像は、赤ライン一本分だけ離してあります)

 上図と同じ位置になるように動かしてみると、角地のようなもの()が並びます。正体不明ですが、この二つは元々一体のものと考え、この場所で固定させました。
 改めて眺めると上図とも一致し、周辺にも不合理な地形のつなぎ目はありません。とりあえず、下図に角地として示してみました。


『地理院地図』を加工

 前出の地図に私が想定した断層線を引くと、…残念ながら国道上とはなりません。
 それでも冒頭の写真を見直すと、左の家が不自然に右に寄っています。また、側溝が断層線の名残とも見えますが、見た目や地形のみで判断するのは無理としました。

 次は、気になる角地です。現地で確認すると、Bは国道と接したここだけという凸地です。ところが、Aは国道に接した崖に盛り土をした事業所で、近世に造成されたことが明白になりました。ただ、地図ではその右側はクランク状の等高線()になっていますから、検討の余地がある地形として残りました。

現在も動いているのか

 『諏訪盆地の形成』の一部です。文中の記号は前出の添付図に対応しますが、参照しづらいので、マークした部分だけ読んで下さい。

 約13,000〜10,000年前の地形を復元した第6図-Aでは、Jの谷や面D、面Eの狭長な地形の成因が説明できないなどの問題が残る。そこで、坂室周辺の地形をさらに右にずらしてみる。約550m右にずらす(500〜600mの範囲でかなり一致するが、ここでは最も連続性のよくなる550mで連続させた)と、第6図-Bのように1とJ、および弓振川とKがほぼ連続するようになる。また面Dの狭長な地形も1-Jと弓振川-Kの2つの河谷に挟まれ、面Aに連続するかたちで形成されたと考えられる。このときは面B、面Eは形成されておらず、面Dのみ離水している必要がある。したがってこの年代は65,000〜55,000年前で、それ以後500〜600mの左横ずれ変位があったものと考えられる。平均変位速度は8.0〜10.9m/kyrと計算される。
 以上の2地点より茅野断層の左横ずれの平均変位速度は8〜10m/kyrと考えられる。

 ここでは変位速度とあるので、千年で9mなら百年で90cm・十年で9cm・一年で9mmと順に暗算してみました。この変位量で現在も動いているとすれば、江戸時代から変わらぬ御射山道とのズレが容易に説明できます。

茅野(坂室)断層線上を走る

 茅野断層の中で横にズレたものが坂室の断層と言えますが、ここでは旧国道が直線となる場所をストリートビュー画像で表示してみました。


断層の動き[↓道↑](自由に動かせます)

 左の脇道に少し入ると「一里塚跡」があります。そのことから、旧国道20号線とそれ以前の甲州街道が地殻の狭間(はざま)を縫って造られたことがわかります。
 ここから坂室の信号を経て宮川の橋を渡るまでが、本稿の「坂室横ずれ断層」となります。私事ですが、振り返ってみれば、断層線上を四十年も知らずに通勤していたことになりました。

水準点

 御射山道の直近に一等水準点があります。埋もれていて確認できないので、『国土地理院』のサイトで調べてみました。

北緯35°58′46″.0015
東経138°09′58″.5791
標高807.3850m

 「成果品質/1970年以降観測されている」が不明ですが、1970年に設置したと理解しました。それから40年近く経っているので、スマホで測定すれば「ズレがわかるかもしれない」と考えました。
 しかし、GPSの精度が問題です。計算では推定36cm動いていることになりますが、この値では完全に誤差の範囲に入ってしまいます。無駄なことだと諦めました。