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せいかん坂の道祖神 茅野市北山 28.3.27

 標題の「せいかん坂」については、芹ヶ沢誌編集委員会『芹ヶ沢誌』では「現在のように堀を堀って急坂をゆるやかな道にしたのは大正六年のことで…」とありますから、かつては今以上に急な坂道であったことがわかります。ただし、その名前の由来は書いてありません。塞神の地元の呼称「せい(の)かみ」であることは想像がつきますが…。

 芹ヶ沢の子之社を参拝した折に、道祖神関係の書籍では定番という位置にある道祖神を訪ねてみました。誠にユニークな造形で、長らく気になっていました。

 子之社から、国道299号であるその坂道を横切り、目前の高みへ誘(いざな)っているような小道に従います。
せいかん坂の道祖神 すぐに登りきりますが、自分が広大な台地の端に立っていることが何か不思議に思えます。距離としては短いのですが、渋川が浸食して造った高低差がそれだけ大きかったということでしょう。

 台地の縁に沿うように進むと、灯籠と道祖神の覆屋が見えました。

双体道祖神 一塊の石から削り出された、高さ約50センチの像を「お互いに正面切って見つめ合っている」と説明してみましたが、見た人の感性に任せた方がいいでしょう。
 風化が進んだ結果なのか、元々の造作なのかはわかりませんが、その表情がつかみ取りにくいからです。男像は目鼻立ちがややハッキリしていますが、石質の違いから後世の補完と思われます。

道祖神 前出の『芹ヶ沢誌』では「四つ辻町と渋川町の共有のもので、お地蔵様が二人向き合って坐ったようなものであり、特異な形をしているので見学に訪れる人が多い。左側の像の銘は延享三丙寅年十一月吉日と刻まれている(二対あった道祖神のうち一対は盗難にあい現在は一対しかない)。」とあります。添付の写真には、よく似た二対の道祖神が写っています。

 諏訪史談会『諏訪史蹟要項 北山村篇』の〔芹ヶ澤〕には、「辻の道祖神」として以下の記述がありました。

由緒 何故こんな処に祀られたか、何時頃祀ったものか一切不明である。
 古老の言に依れば或る年(不詳)一月十五日のオンベ焼の際その火の不始末から芹ヶ沢部落の大半が祝融(しゅくゆう)の火を蒙った。この時村人はその責を同神に帰し、罰として辻からここへ移したとも伝えている。現在オンベ焼は辻の火の番地蔵尊の前でいとなまれる。

 この火災については、『諏訪郡諸村並旧蹟年代記』に記述がありました。

一、芹ヶ澤鎮守子之神社北澤氏神也、(中略)何年の頃哉、歳ノ神の火にて類焼す、依て祭之神立てず、
諏訪教育会『復刻諏訪史料叢書 第二巻』

せいかん坂 小さな御堂が「火の番地蔵」です。『諏訪史蹟要項』は昭和29年の発刊なので、その当時はこの場所でドンド焼きができたと思われます。今は国道脇で火など焚くことはできませんから、別の場所で行っているのでしょう。
 因みに、手前の道路が「せいかん坂」です。