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十日町の石幢「六地蔵幢」 長野県佐久市臼田入沢 30.9.24

国指定重要文化財「六地蔵幢(ろくじぞうとう) 30.8.26

 新海三社神社参拝時に、「御魂代石」との関連性もあって、この石幢を見学しました。

十日町の石幢「六地蔵幢」

十日町の石幢 余所者とあって「ここは旧街道か」と想像してしまう、うねうねとした、車ではもう少し余裕が欲しい道を、ナビの指示で走ります。
 道沿いなのですぐ目に入りましたが、駐車するスペースがありません。交通量が少ないこともあって、少しだけ通り過ぎてから、やや広い部分に路駐としました。
 背後が民家なので、気を遣いながら撮った一枚です。幢身の凹凸が異様に見えますが、風化ではなく、各時代に生きた人々がそれぞれの思いで削り取った痕跡と考えました。

十日町の石幢 これが、もちろん空では書けない「龕(がん)」です。諏訪大社上社本宮の近くにある「長沢の石幢」と同じ構造ですが、市と国指定の差が出て、こちらはしっかりとした造りでした。
 今回は神社巡拝の中途という見学なので、写真を数枚撮っただけで引き上げました。


 臼田町文化財調査委員会編『臼田町の文化財』から、〔六地蔵幢〕を転載しました。まだ興味が持続している方は読んで下さい。

 十日町の県道ばたに、種々の供養石塔と共に立つ六地蔵幢(とう)は昭和三十六年三月国指定となった重要文化財であります。刻銘によると建立は永享十二年(一四四○)で、今から五百三十余年のむかしであります。国指定となった主な理由は、造立年代が古く確実であること、形が整い美術的価値が高いこと、欠損がないことなどであります。
 石幢の幢は、のぼり旗・はたぼこの意味で、本来の中国石幢は、幢身に経文などを刻して人々に示した仏教的遺品であります。石幢には単制と重制との二様式があり、重制は、石灯籠によく似た構造で、火袋にあたる龕(がん)部に六面体に陽刻した六地蔵像を納めるものです。
 この地方では、六地蔵をあらわすために多く造立され、この重制石幢は町内だけでも十数基にのぼっておりますが、一つにはこの十日町の古い石幢が範となって普及したと考えられています。
 永享十二年という建立年代とともに六地蔵を刻した石の上部に、黒漆を用いて迷色之師(めいしょくのし)奥州(おうしゅう)住 秀鶴」と迷送の文字が記されております。造立者と思われるこの文字の解釈については古来、郷土史家や文学者などが推理によっていろいろの説をなしていますが、今のところ不明というほかありません。
 なお、平林の千手院(せんじゅいん)はかって十日町の東方木伐窪(ききりくぼ)清水端にあり、この石幢は、その参道に建てられたとの伝承があり、位置も変動しているようであります。
 昭和二十六年青沼村青年文化会の力により国学院大学の三博士が解体調査の結果、重要文化財としての価値を認められたものであります。