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高野山町石道 和歌山県伊都郡九度山町ー高野町

 「比叡山」とくれば延暦寺だが、「高野山」は…。神社仏閣巡りを趣味とする自分だが、寺の名前が出ないのに気がつき、アレっと首を傾げてしまった。しかし、山号で通用する超メジャーな寺だけあって、40年間知らず(覚えず)に過ごしてきたが一向に不自由はしなかった。
 ガイドブックで調べると「金剛峯寺(こんごうぶじ)」とある。そういえばそんな名前だったかなと、何回か「高野山金剛峯寺」と唱えて頭に入れた。その時の「副産物」として、高野山に「町石(ちょういし)」があることを知った。写真やイラストも載っていない簡単な解説によると、「一町毎に距離を示す石が高野山まで続く」とある。 6時間の歩行時間もまあまあだし、帰りは電車を使うと手頃な周遊コースだ。車での往復は面白味に欠けるし、何より、あの「同行二人」の巡礼の気分に浸るのも楽しそうだ。


 8月の初めに3日間の休みがとれた。そこで、前回の紀伊半島一周で見残した、和歌山の「長保寺と善福院釈迦堂の国宝巡り」と「町石を求めて」の二本立てを実行することになった。地図を用意していないのが不安だが、とにかく現地へ行ってみようと出発点にあたる慈尊院を目指した。

町石道前夜

 初日は移動だけという、いつにない贅沢な時間を使い過ぎて、高野口町に着いたのは7時になってしまった。前もって調べておいた町立の「温水プールレインボー」を風呂代わりに予定していたが、時間切れで果たせず、日中に受けた諸々の“しがらみ”を着たまま九度山町へ向かった。
 9時頃に一旦は紀ノ川沿いの空地を宿泊場所と決めたが、余りの暑さに撤退し「高野山道路」で標高を稼いだ。「高度が百メートル上がると、気温は0.6度下がる」を実行したわけだ。長野県の八ヶ岳山麓・標高千メートルにある自宅は日中を除くと朝晩は涼しく、わが家には扇風機もない。そんな(夏だけ)恵まれた高冷地人にとって、熱帯夜は耐えられなかった。宿泊地に決めた厳島神社近くの道路脇は、エアコンのパネルに表示した外気温は27度だが、紀ノ川からの温度差3度はかなり涼しく感じた。
 灯りに集まる虫を避けるためにガスランタンを離れた場所に置き、まず、アイスボックスから缶ビールを取り出した。これを飲んだらもう移動(運転)できない、と自分にダメを押してから三分の一を一気に飲んだ。
 国道24号線沿いには、町毎に遅くまで営業しているチェーン店のスーパーがある。そこで仕入れた惣菜を広げると遅い夕食が始まった。フライパンにバターを溶かし、旅だから、というだけで財布の紐がゆるんでしまった結果の奢った牛肉を焼いて、残りのビールと共に楽しんだ。夜とはいえ人目にさらされる道端の自炊にはかなり抵抗があるが、幸いにも山岳道路とあって通過した車両は数台だけだった。
 ビールは膨れた腹には旨さも半減する。車中泊者にとって、最後に残された楽しみ・ビールの味を優先するために、遅くなっても宿泊場所と夕食と晩酌が一致しなければならない。これが習慣としてすっかり定着してしまい、食堂の代わりにスーパーに寄ることが楽しみとなってしまった。コーヒーを飲み終わると後はすることがない。蛍光表示の外気温が変わっていないことを確認してから、濡れタオルで体を拭き、裸で布団代わりのシュラフ用シーツにもぐり込んだ。

スタートは慈尊院

 朝からクソ暑い、とボヤいたが郷に入りては何とかで、九度山町の夏を謙虚に受けとめ、まず紀ノ川に沿って駐車場探しを始めた。慈尊院には参拝者用の駐車場があるが、入れ替わりの多い所に長時間駐車するのは不安だ。少し戻った町営体育館の駐車場では、日除けの帽子を被ったお婆さんが、「今日は水泳大会があるから送迎の車にこすられるかもしれない」と、こちらの心配を見透かしてテニスコートの駐車場を紹介してくれた。町石道を歩いて登ると言うと、親しみを感じたのか話が尽きず、礼を言って車に戻ろうとすると又話しかけられの繰り返しだ。その中の、「慈尊院には登山者の姿を見ると高野山まで案内してくれる犬がいる」との、本人も信じていそうもない口ぶりの話はどこかで聞いた事があると思ったが思い出せなかった。
 教えられたテニス場へ行くと野球場が併設されており、ファールの球が飛んできそうだ。購入してからまだ三ヶ月の車では、取り越し苦労と分かっていても旅先の事故の確率は可能な限り少なくしたい。しばらく迷ったが、スタートには遠くなるが帰りの駅からは近い、営林署の広い空地(敷地)に無断で置かせてもらった。

町石道巡礼

 いつもの事だが、ザックを背負うと軽い緊張感を覚える。靴紐を締め直すことで靴と足に出発を伝え、再び慈尊院に向かった。ヤヤ、門前に犬が寝そべっているではないか。しかし、彼(彼女)はこちらを一瞥しただけでソッポを向いた。「もしや、伝説の犬か」と期待しただけ損をしたと、こちらも無視して門をくぐった。弘法大師の母の御廟がある境内には年配の女性の参拝客が何人かいたが、まだスタート位置にも着かずにいる自分にとってこの寺を拝観する余裕もなかった。

 正面に石段が長く続き丹生官省符(にうかんしょうぶ)神社の赤い鳥居が見える。最初からヤレヤレと思ったが、〈百八十町石〉、即ち高野山へあと百八十町のスタートに当たる町石はその石段の途中にあり、道標の向きから全部登らずに済むことが分かった。少しでも楽をしようとする「にわか巡礼者」が初めて見た町石は、丁度五輪塔の最下部を長くした2メートルを越す石柱で、傍らの説明板では「浄土を表す梵字(ぼんじ)と施主の名を典雅な字体で彫り込んだ供養塔」とある。典雅にはほど遠い自分には数字しか読めなかった。更に、町石は巡礼者が一町毎に手を合わした信仰の石とある。
 「8時半」と、出発時間をメモしてから右に折れ、簡易舗装された軽トラが一台通れる道を進んだ。二つ目の町石がすぐ現れ、「エッ、もう」と思うのも余裕がある証拠だった。巡礼になりきって手を合わしてみた。林間に延びる高野山へ続く巡礼道にハイキング気分もいくらか引き締まり、割れた小鳥の卵やセミの鳴き続けた果ての骸(むくろ)が落ちているのを見る度に「人生とは」と、想う前にそれを押し込めた。何しろセミの死骸が余りにも多く、その度に悩んでいたら気が狂ってしまう。
 「和歌山はミカン」の先入観から柿畑が続くのが不思議だった。手入れをしているおじいさんに声を掛けてみた。「この土地のミカンでは、有田や田辺に太刀打ちできないから今ではほとんど作っていない」と返事が帰ってきた。下のミカン選果場が荒れ果てていた原因が分かった。品種は富裕柿や平種で、早生とおくてを組み合わせているそうだ。「カメムシが穴を開けるから消毒も欠かせないし雄雌別木だから受粉も大変、摘果もあるので手が掛かる」と嘆いた。桃などの果物も、山梨県の何億円もかけた糖度を自動的に測る機械等の前には競合出来ず、ハウスで促成栽培するなど工夫しないとやっていけないそうだ。「人と同じ事をやっていたら駄目だ」と笑った。
 キウイフルーツの太いツルが道まで延びている。食べ頃に見える実はしっかり網の内側にしかないのに感心する。急斜面に農作業用のモノレールが延びている。農道が複雑に交差して時として方向を失うが、町石の出現と、赤い字で「巡礼道」と書かれた手作りの小さな札に安心する。矮化栽培の柿畑では日陰がなく、徐々に背中にしみだす汗の不快感に加え、一応のハイキングコースだが「巡礼道」では女性に会える確率が極端に低いことに気が付くと、後は食べる事しか楽しみがない。持参の桃をいつ食べようかとばかり考え、初めは見逃したのに気が付き、わざわざ戻って確認した町石も徐々に影が薄くなってきた。
 「この園はあと◯%摘果しましょう。かつらぎ町農協・果樹部会」赤い札の「◯」の部分に「手直」と記入されていた。農家もここまで管理される時代になったのかと驚いた。一山越すと展望が開け、頑張った分だけ紀ノ川が下になったのがわかる。蛇行しその両岸に人家が広がっているのを見ながら一休みした。吹き上がってくる風が心地よい。急坂ゆえに一気に高度が稼げる。
 舗装が荒れ、茶色に変色した草を避けながらしばらく歩くと山道に変わった。巡礼道に除草剤ではかなわない。規則正しく植林された杉林は、葉が平均的に茂っているためか空が見えずかなり暗い。それでもあちこちの幹にスポット状に光が当たり輝いているが、その光源と思われる辺りを注視しても太陽は見えなかった。10時過ぎに、最初のポイントである六本杉〈百三十六町石〉に着いた。

 ちょっとした広場は展望は利かないが三叉路の峠で、各種の道標が立ち、長く延びた夏草がまぶしい。思いがけない先客が休んでいた。情報交換をする中で、同じコースを行くと言う彼が取り出した、駅で貰ったという町石道の地図がうらやましかった。ここからは道が広くなり、高低差もほとんどないのでのんびり歩けるが、林間で展望も効かず、単調なだけに早足となり自然と足元を見るだけになる。町石とその数字の変化だけが救いだ。
 半分土に埋まった異物が目が止まった。しゃがんで観察すると、表面が赤く焼けた石で気泡の痕がある。掘り起こした径4センチ程の大きさの石を手にすると異常な重さだ。町石道は普通の山道で土も石も極ありふれた色と形状をしていることから、真っ先に浮かんだのが隕石だ。見つけようと注意深く歩いたわけでもないのに目が留まったのは何かの因縁かと、さらに周囲を見回すと一回り大きな石が見つかった。こちらは表面の小石状の鉱物がガラス状に熔けている。割れた断面は水筒の水で洗うとチカチカと青黒く光り、穴には木の炭化物が残っている。何かの精錬カスとも思ったが、鉱山の存在など聞いていない。隕石の疑いが濃くなったので持ち帰ることにした。この隕石騒ぎは、しばらくの間単調な気分を救ってくれた。

 「二ツ鳥居」〈百二十町石〉で追い越された家族連れの声が遠くなり、自分だけの町石道が戻った。話声がどこからともなく聞こえてくる。林を透かした明るさが眩しい。よく見るとゴルフ場のバンカーで、芝生も広がっている。何たる事か、汗水たらして登ってきた挙げ句がこれだ。町石道沿いにある東屋で一息入れている数人のゴルファーが、ザックを背負った自分の存在に気が付いてこちらに振り向いた。「珍しい物を見た」というような視線に、こっちも、「この炎天下でゴルフをする物好きもいるもんだ」と見返す。物好き同志が無言ですれ違ったが、しばらく続いたゴルフ場の存在が疎(うと)ましかった。
 区切りのよい「百町石」で桃を食べようと楽しみにしていたが、一向に現れない。この山中でまさか盗難という事もないと思うが、今までも、折れたり倒れたり、時には歯抜けの様に「欠番」していることもあったから、谷にでも落ちたのだろうか。もう一町、と延ばしているうちに丁度半分の〈九十町石〉に行き会い、ここで大休止と腰を下ろした。蚊の歓迎に加え風も届かないのに気が付いたが、一旦座り込むともう立つ気にはなれなかった。期待し過ぎたためか、生温かくなった桃はそれほどでもなく手のベトつきだけが残った。しかし、砂糖抜きの熱い紅茶はうまかった。この頃になるとひたすら歩くのみとなり、オーバーペースで足が重くなる。
 ススキが両側から道を覆い隠し始めて短パンの足には辛くなってきたが、この暑さでは履き替える気にはなれない。少し手入れをしたらどうかと、管理者がわからないので取りあえず自治体の高野町に届かない不満をぶつけた。タオルを前掛けの様にして腿を覆い、代わりに腕に当たる草を気にしながら通過した。目に見えない傷に汗がしみてかゆい。

 車の走行音が聞こえ始め車道が近いのがわかった。左側が下に切り立った道に変わったが、相変わらず長く延びた草が邪魔だ。フェンスのかなり下に道が見え、その舗装が何回か離れて近づく度に高低差が縮まり、ひょっこり〈六十町石〉の「矢立」に飛び出た。高野山道路との交差地点は、太陽の直射と道路の照り返しでオーブンと化しており、たまらず目についたガソリンスタンド脇の自販機に飛びついた。窓を閉め切った観光バスが通過する度に、乗客から一斉に「好奇・物好き」の視線にさらされる。この充実感は汗をかいた者だけが手にする、と胸を張っても、この想いは届くはずもなかった。
 一息入れた余裕からか、かっては栄えたという宿場の家々の間に細々と続く街道の、いかにも巡礼道した風情に頬の筋肉が緩み何回もうなずいた。両脇の建物の造りなどをゆっくり眺めながら再び歩き始めた。後、三分の一だ。
 集落から続く道の両側には狭いながらも畑があり墓地も点在している。うって変わった人の匂いのする眺めに心が和むが、頭上から道路ごと太陽に灼かれ、疲れがたまった足にこたえる。ガマが生い茂る湿地帯の辺りは真夏そのものだ。しかし、この季節に丸ごと包まれて汗まみれだが、おもいっきり体を動かせる自分が嬉しかった。

 思いがけず現れたナデシコのピンクを最後に、山間の展望が効かない道に変わった。太陽からは逃れられたが足が更に重くなり、筋肉に(見たことはないが)乳酸がたまっているのが実感として分かるほどだ。ただ歩くだけの単調な気分を救ったのが、「袈裟掛石」とか「鏡石」とかの弘法大師縁の史跡だ。「押上石」と書かれた説明板に「大師の母が結界を越えて入山したとき、激しい雷雨から火の雨になり、大師がこの岩を押し上げて母を隠した」とあることから、火の雨とは、隕石の落下ではないかと自分に都合よく解釈した。となると、ザックにしまいこんだ石がにわかに貴重品のように思えてきた。「手の跡がついているのが不思議である」との説明に、誰でもするように、それらしき手形に手の平を押し付けてみた。
 再び高野山道路を横切ると〈四十一町石〉、明るい一車線巾の道に変わった。「難路」と書かれた注意書きに、「何が」と疑問を感じたが、ゴムのキャタピラーのついた小型の運搬車や工事機材が置かれているのを見始めると、まさか通行止めではと不安になってきた。先に進むに従い、幾つもの沢を横断する道が決壊しているが、それぞれに新しい橋や応急の橋が掛かっていた。タイミングの良さに先ほど毒ついた高野町に感謝したが、やはり御大師様に感謝すべきなのだろうか。

高野町

 九十九折りの急な道も、一桁台になった町石の数字や駐車中のエンジン音が聞こえるなど、最後の登りと予想されたので一気に高度を稼いだ。道脇にゴミが目立ち始めると、間断なく続く車の音に包まれた表参道の赤い大門〈七町石〉の前に飛び出た。
 しかし、何かおかしい。ゴルフ場もあったが、単独行者と一家族4人だけが全ての6時間を越す山中の巡礼道を踏破した末が、あってはならぬ飲み屋もある繁華街だ。比叡山のような山岳寺院の先入観があったので、こんな山の上に役場もある町があるのが不思議だった。恥ずかしい話だが、この時まで高野町と高野山金剛峯寺が共存しているとは全く知らなかった。
 早速、自販機の冷えた缶ビールという恩恵を受けたから、「修行の場云々」などと文句は付けられないが、それにしても…。車に注意しながら歩くのもシャクで、ザックと汚れた靴を印篭代わりに「お前らとは違うのだ。ご利益も沢山あるのだ」と大きな態度で歩いてみたが、やはり下から歩いて来た汗にまみれた物好きはここでは異端児で、車や普通人に圧迫され次第に隅を小さくなって歩いた。
 〈三町石〉は丁度バス停名にもなっていたが、その先の〈二町石〉が見当たらない。慌てる事はないと、道沿いの霊宝館でこれも今回の目的である国宝を含む文化財を見てから真言宗総本山に向かった。ところが、何と今度は町石の数字が増えていく。他にも参道があるのかと不思議だった。金剛峯寺では伽藍の規模や襖絵の豪華さに感心したが、豊臣秀次が自刃した「柳の間」を見た後では、それもすっかり色あせていた。

金剛三昧院

 高野山では二件ある国宝の建造物の一つを有する金剛三昧院へ続く道には、寺の名前もなく国宝の標識もない。迷った末にたどり着いた塔頭は渋滞するメインストリートからかなり奥まった山手にあり、今までの賑わいもここまでは届いていない。山門から入ってすぐ左手にある多宝塔の周囲には、見慣れた茶色に赤い文字の「国宝・重要文化財」の表示板がない。ガイドブックを見直したが、やはり国宝とあるやや小型の多宝塔は、彩色は残っているが色があせている。
 これが国宝かと有り難がっているのは自分だけで、これを目的に訪れる人もいないようで、タクシーで乗り付けた人達も山門脇の国宝を振り向きもせず寺内へ消えていった。もっとも、寺側や信仰心から訪れる人達にはランク付けされた文化財などには関心がないのかもしれない。現れた僧から、「境内自由」との言葉をもらい、遠慮無く寺内を散策した。
 この寺は宿坊になっているらしく、玄関脇の縁側の長い踏み石の上にバイクの長靴や各種の靴がたくさん並んでいるが、どこへ消えたのか境内には人の気配が全くない。天然記念物のシャクナゲを見たり、再び塔を位置を替えながら見上げ、午後も終わりに近づいた高野山上にある一つのお寺の文化財と庭を独占した。

ついに「一町石」へゴール

 後は、「これだけは」という最後の〈一町石〉だ。これを拝まなければ画竜点睛を欠く。詳しいと思われる(ここに来て、「木曽五木」の一つコウヤマキが「高野」+「槙」と知った)高野槙売りのおばさんにも聞いたが知らないと言う。「高野山」を商売の糧にしているのにそんなことも知らないのか、と怒ってみても自分のこともあるので…。いったん〈三町石〉に戻り、改めて、と引き返した。丁度5時で、金堂の扉を締め終わり寺務所に引き返す若い僧に尋ねると、この根本大塔が起点〈0町石〉で再び奥の院へ三十六の町石道が続くと話してから、一、二町石の場所を詳しく教えてくれた。土産物屋の向かいにある石垣根の中に、それはあった。石柱の間からのぞと、確かに「一」の文字が読める。薄暗い木々の下なので、ここにあると意識しなければまったくわからないだろう。観光客には無縁のモノかも知れないが、自分はこれで目を画くことができ山を下りる事が出来る。しかし歩く気力はすでに失せバスで高野山口へ向かった。

九度山駅へ

 乗客も疎らの、ケーブルカー特有の通路と窓が傾いた落ち着かない車内の座席に腰を落とした、もう歩くことはないと気がつくと、一気に疲労感に包まれた。ゆっくり降下するケーブルカーの振動とスピードに合わせるように、おもいっきり汗をかいた夏の高野山の一日を終えた充足感が徐々に広がってきた。ボンヤリ見下ろした目に、日が陰った急斜面にポツンと咲く一輪の山百合が映った。周囲の緑に染まず場違いなほどの「白」に、人の群れから離れて単独行を繰り返す自分の充実した心を重ね合わせた。三たび乗り換えた電車は、山峡をブレーキの音をきしませゆっくり走っていたが、トンネルをくぐる度にスピードを上げ始めた。夕暮れの九度山駅に降り立つと、忘れていた暑さに一気に包まれた。駅で忘れずに町石道の地図をもらい、紀ノ川の見える駐車場に戻った。