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佐田京石 大分県宇佐市 安心院町

 九州にある「環状列石(ストーンサークル)」を調べました。その中で外周に大きな立石がある「佐田京石(さだきょういし)」を選び、帰りの立ち寄り地にしました。岡山県の楯築(たてつき)遺跡にも似た景観には、「これは必見」とするしかありません。

佐田京石見学 2022.12.8

 ここで(あなたの博識度が試される)クイズです。佐田京石がある町【安心院】の読みは? …答えは全部読んでから。


平成の京石

 道路脇に、一目でそれとわかる立石が並んでいます。駐車場は道を挟んで対面していますから、車を降りれば目の前が佐田京石というアプローチ無しの簡便さです。持ち時間が限られた旅行者には嬉しいのですが…。
 ここになぜ「登山届」のポストが、と訝(いぶか)りながら道を突っ切ります。宇佐市教育委員会設置の案内板です。

佐田京石

 太古の祭祀場か? 鳥居の原形か? 埋納経の標石か? 定説は未だありません。
 通路を登って左側の柵内は、マウンド中央の石柱から半円形を描くように石柱が配された環状列石と推測されます。
 また、右側の柵内にはドルメン(支石墓)と思われる巨石があります。石柱の表面には、ペトログラフ(岩刻文字)の存在が指摘されています。背後にある山は、米神山(標高四七五m)と呼ばれ、山頂部にも環状列石(高さ五〇cm程度の石)があります。また、ここから宇佐方面へ行った地点右側の水田中に、米神山側に先端が向いた立石があり、その上に小さな扁平石を載せたものが立っています。地元では こしき石と呼ばれ、蓋石を取り除くと暴風になると伝え暴風石とも呼ばれています。
 この様に山の名やこしき石等、米に係る名が多く有りますので弥生時代頃のものとも思われますが、定かではありません。

佐田京石

 道路脇に並んだ立石の上部にある列石で、「ドルメンと思われる巨石がある」と説明があります。下方の明るくなっているのが駐車場ですから、車窓からも眺めることができます。

佐田京石

 案内板では「通路を登って左側の柵内」とある、一壇上に並んだ環状列石です。「おー、これが!!」と思わず口に出した本格的な列石ですから、私の選択が間違っていなかったことになりました。

 三つのグループに分けることができる佐田京石ですが、案内板には「史跡」の冠が付いていません。その“用途”がまだ解明されていないからと推察できますが、埋納経の標柱では私のランク付けでは低評価となってしまいます。やはり、縄文から弥生時代の環状列石としたいのですが…。

米神山

米神山
が環状列石

 案内板の一つに、『霊山 米神山』があります。文字列平成の京石を読むと、「平成三年に水田の基盤整備作業を行った際に出現した巨石十九本を建立したもの」とあります。これで、佐田京石として初めて見た立石は、現在の駐車場の下から移築された平成の京石と知りました。

 次いで山頂部に目をやると「環状列石」があります。読み直した『佐田京石』にも同じ「山頂部にも環状列石が…」とあるので、米神山登山を思い立ちました。
 実は、今日の打ち止めは「米神山側に先端が向いた」とある「こしき石」に決めていました。そこで山頂の環状列石か田中の立石かと迷うことになりましたが、問題は日没までの時間です。
 時計代わりのカメラで確認すると3時45分です。「一時間で往復できるのか」と悩みましたが、米神山に登ることを選択しました。

米神山 そうなると1分の時間も惜しいので、持ち物はカメラザックだけという現状維持のまま、ここからの標識差350mと見て登山を開始しました。
 「頂上へ」の標識を過ぎると、いつもの山歩きとは勝手が違ってきました。落葉が積もり道が判別しにくいからです。その対策か、立木に赤いテープが巻いてあります。それが、今や、そのテープを探してから進行方向を決めるという状態ですから、この里山に「登山届」のポストがあったことが頷けました。

米神山 寄り道して「月の神谷」です。ここまでは余裕がありました。しかし、写真と同じ斜度の直登が始まり、しかも足を乗せるわずかな窪みに落葉が積もっていて滑ります。
 ロープが連続して設置してあります。「鎖やロープがあっても過信するな。補助的に使え」が鉄則ですが、足がかりが少ないので全面的に頼るしかありません。それも上部の一箇所だけ固定してあるので、左右に振られます。一度は、足を滑らせて体勢が180度入れ替わってしまいました。
 変わらぬ急登に30歩登って一休みとしましたが、20歩で限界です。何度も引き返そうと思いますが、「もうここに来ることはないから」と、パンクしそうな肺に言い聞かせます。それが続けば、「ここまでの苦労がアワになる。意地でも登ってやる」に変わりました。

米神山 ようやく傾斜が緩くなり、息が整った状態で山頂に辿り着きました。4時40分ですから、一時間弱の登山でした。
 これを目当てに来たという環状列石ですが、草に埋もれてサークルには見えません。しかし、大いなる達成感はありました。

佐田京石

 まだススキが赤く輝く雲に照らされていますが、長居はできません。再びロープを掴んでの下山を始めました。何回も滑って転びながらもようやくロープから解放されましたが…。
 トラバース気味の道を下ると、見覚えがある尾根の鞍部が現れました。登りでは鞍部から尾根伝いに登った記憶があります。その逆として左に下りますが、その先にテープが見当たりません。記憶違いかと引き返して尾根筋を登ってみますが、同様です。周囲はすでに薄暗くなっていますから、ここで一気に焦りと不安が募ってきました。

 ここまでに、三分の二以上は降りています。藪漕ぎを覚悟しながら最後に見たテープまで戻り、再び最低鞍部に立ちます。ここで反対側を覗き込むとテープが確認でき、最悪の事態も覚悟した焦りのピークから解放されました。
 頼りとするテープが幹と渾然一体化していく中、車の走行音も聞こえないので再び不安に包まれます。ようやく梢の向こうに明るさが戻ると、佐田京石が現れました。

佐田温泉

 下山中に「途中で見つけた温泉に入ろう」と計画していた温泉は、佐田京石から約1Km下った「佐田温泉」でした。浴槽から上がると、目が回るというより、意識が薄れ掛かります。必死に堪えて洗い場に腰掛けました。回復してから見回すと、「町外は300円」とあるように入浴料が安い分だけソープ類はありません。汗を流して着替えができれば十分なので、顔と首回りをタオルでこすって再びお湯の中へ。
 ところが、長湯をしたせいか、立ち上がると再び意識が朦朧と…。周囲に気づかれないように再び座り込みます。実は、長年の高血圧症で薬の服用が欠かせない毎日です。体力の消耗と精神の動揺による血圧の変動が大きかったのが原因でした。

米神山登山ルート

 遭難未遂顛末として『地理院地図Vector』に登山ルートを重ねてみました。

米神山の地図 佐田京石の近くに113mの標高点があるので、標高差が362mになります。また、山頂下部の等高線をほぼ直角に横切る部分の断面図を作ってみると、平均斜度45度が確認できました。
 “遭難未遂”を起こしたのが部です。その鞍部を斜めに直進すべきを、左(南)と思い込んだのが間違いの元でした。因みに、現在位置がわかるスマホは携帯しませんでした。

こしき石

 見られなかった「こしき石」を、ストリートビューで表示してみました。

米神山space↓こしき石(田圃の中)

 拡大すると、米神山に向かって斜めに“設置”されていることがわかります。これを佐田京石とセットにして考えれば、縄文時代の遺構として間違いないように思えますが…。

安心院町

 私は「あんしんいん」で通してきましたから、調べて「あじむ」と知っても「どうしたら、そう読めるか」と反論してしまいます。しかし、「あじむ」を漢字変換すると、当然のように「安心院」を表示します。考えてみれば、極普通に読み書きしている大分(おおいた)県も難読度が高い…。