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天白サイホン(大六天社) 山梨県韮崎市三之蔵 22.9.24

 「穂坂路」の別称がある県道23号に、「朝穂堰・天白サイホン入口」の標識があります。「大六天社」を参拝した折に見ました。

コーヒーメーカーに見られる「サイフォン」が一般的です
が、土木用語や文献ではサイホンも多く使われています。

 ネットで調べてみると、コーヒーの「サイフォン(サイホン)」が多く表示する中、身近でも見られる「川をや┏┓状で渡る水道管」のサイホン工法が見つかりました。何となく想像していましたが、その逆の「」などで川底を通るのが、正式な用語ではないそうですが「逆サイホン」と知識を増やしました。

天白サイホン

 どうしても「サイホン」が気になります。どこにあるとも知れないまま、再びの大六天社からさらに奥に延びる林道の先を目指しました。

天白サイホン 10分ぐらいは歩いたでしょうか。左方からいきなり現れた水路ですが、その水は右側の構造物の中で消えています。それが天白サイホンの「始点」でした。
 延々と人工川を伝わってきた水が、ここから導水管で一気に谷底へ落ち、その勢いで駆け上ります。もっとも、サイホンの原理を使っているので「速さも量も一定」ですが、管内が見えないので、どうしても激しい水の動きを想像してしまいます。

天白サイホン 下方に見える手すりの先まで降りてみました。この段上から谷底まで下っている導水施設が一目で見下ろせますが、対岸は木々が邪魔をして見えません。導水管の上に作られた階段がありますが、下方から「ガサゴソ」と藪をかき分けるような音が伝わってくるのを聞いて、その終点を究めることは諦めました。クマに追われても、急な段を駆け上がる体力は今の私にはありません。

天白サイホン サイホンですから「落ち口以上の高さに上がる」ことはありません。“対岸”の水平位置を眺めると、木々が途切れて暗い部分があります。左は、上写真の「」の部分です。カメラをズーム最大にして確認すると階段と手すりが見えました。この下に水が流れているとは想像もできませんが、規模の大きさとサイホンの具体的な構造を確認することができたので大いに満足しました。

朝穂堰

 ネットで調べると、「朝穂堰(ちょうほぜき)」はあっても「サイホン」が見つかりません。山梨県立図書館が『朝穂堰誌』を所蔵しているのはわかりましたが、“越県”しないと閲覧できません。ところが、隣が山梨県となる富士見町の図書館で、韮崎市誌編纂専門委員会『韮崎市誌』を見つけました。第四章「水利」から「二 朝穂堰〈開削の経緯〉」を抜粋で紹介します。

 享保三(1718)年、領主柳沢甲斐守吉里の決断により山口八兵衛を工事奉行に、団子新居村(双葉町)の六郎右衛門が工事を担当し、官費により着工された。新堰は穂坂古堰の傾斜を改めるため、風越山を掘抜き、正楽寺・三之蔵・宮久保・三ツ沢を通過する約十五キロメートルの水路を六ヶ月余りで開削し、同年七月完成した。
 この堀継工事は苦難の連続であった。特に風越穴掘抜きは難工事で「工事中絶のときは総代十五名を磔刑に処す」などの問題もあったが三村は一層団結を固め、三之蔵で大六天社、宮久保は鳥居原へ虚空蔵菩薩、三ツ沢では楯無原へ神明社、三村連合で風越穴出口へ虚空蔵菩薩をそれぞれ勧請し、神仏の加護を求めるとともに村民総出で作業に当たり、ようやく貫通したのである。

 添付の写真には、「朝穂堰改修工事(逆サイホン工法により天白沢の谷底に下った水を対岸の水路に揚水──穂坂町三之蔵・遠景は風越山隧道)」と説明があります。
 これを読んで、“この時代”に、大六天社が勧請されたことを知りました。

大六天社

大六天社 深刻な水不足と難工事は『韮崎市誌』の文字から想像するだけですが、これで、大六天社が人里から離れた尾根上にポツンとある理由がわかり、この神社の縁起・由来を改めて紹介することができました。
 この大六天社は、メニュー〔全国の神社記〕で『大六天社のお腰掛』として紹介しています。