御柱祭への道 /

御小屋明神社祭

 「火入れ式」の翌日に、御小屋山の御小屋明神社で、御柱の伐採と安全を奉告祈願する「御小屋明神社祭」が行われます。
 平成4年までは、この神事の終了後に御柱の伐採が行われました。ところが、平成10年からは御柱用材を御小屋山以外の地に求めるようになったため、平成22年の御小屋明神社祭は、一日置いた「御柱伐採式」前日の3月10日に行われました。

御小屋明神社へ

御小屋明神社
御小屋明神社

 前日は、諏訪地方は雪と強風でビニールハウスがつぶれるなどの被害が出るほど荒れました。「よほどのことがない限り現地で行う」と聞いていましたから、当日の快晴にひとまず安心しました。
 後は、「どこまで車が入れるか」が問題です。徒歩の時代では「午前2時出発・8時神事開始」だったそうですが、車社会となった今でも、できるだけ時間を短縮(楽を)したいのが心情です。今年の御小屋明神社祭を逃すと、6年後の次回に、まだこのサイトが存続しているとは限りません。山の積雪量が心配ですが、青空に励まされて行動を起こしました。
 「学林」横の林道が除雪されているのを見て、「神事の中止はない」ことを確信しました。里より少ない雪でしたが、美濃戸の分岐点で知り合いの車を確認して、私もここに車を置いていくことにしました。何台かの車に追い越されましたが、余裕の時間と久しぶりの山歩きに「徒歩」の後悔はありませんでした。御小屋平にある「山の神」の前には、すでに報道陣と参列者が集合していました。

山の神祭

山の神祭 鳥居の代わりと思われる「木の締柱」を建て替えるのを見ながら、神職の到着を待ちました。この時までは日が当たる「祭り日和」でしたが、神事が始まった頃には梢を透かした空には色がなくなり、のど元まで一杯にジッパーを上げる寒さとなりました。
 山の神と御小屋明神社がどういう関係なのかわかりません。御小屋山の主・御小屋明神社はここから歩いて5分ですから、重複する山の神が鎮座するいわれがありません。御小屋明神社は神之原の山作りの神様なので、「諏訪上社」と彫られている山の神の石祠は、諏訪大社が社有林の守り神として造営したのでしょうか。そんなことを考えながら神事の推移を見守りました。

御小屋明神社祭

 神事の準備中から雪がサラサラと落ちてきます。気温が下がった分だけ髪と首筋の雪が気になりますが、神事が始まればフードを外さなければならないのでそのままにしました。

御小屋明神社祭 6年ぶりとあってか、神職は八枚の「御柱木札」の並べ方に戸惑っています。諏訪大社も神職の移動(転勤)がありますから、初めての担当かもしれません。祢宜も、(記録用に)神饌のセットを何枚か撮っていました。
 左のハッピが「神之原伐採奉仕会」で、右が「諏訪大社大総代」です。翌日の新聞では「関係者30人が参列」とありました。報道陣も長野県内すべての各社が集まっています。その中で、奉納する酒のラベルをはがすのに苦労している姿を見ました。諏訪大社の神事なのに、なぜNHKに配慮しなければならないかと不思議でした。結局は、白くはげ残った一升瓶が祭壇の脇に置かれることになりました。
 古い写真では、宮司は祠の前に座っていました。今回は、その姿を取りたかったのですが、丸いイ草の座布団は持ち込まれましたが、傾斜があるので雪で滑るのでしょう、真新しい白い長靴を履いて立ったまま行われました。

御小屋明神社祭 左は「宮司一拝」です。真新しい御柱が写っているのがわかるでしょうか。諏訪では一番早い(小さいので)「立て御柱」でしょうか。終了間際なので報道関係者が撤退し、祠の全景を切り取ることができました。
 神事終了後に宮司の挨拶がありました。明日は引き続き「御柱伐採式」ですから、関係者への謝辞と伐採式協力についての話でした。この後に直会の献杯がありますが、私は一足先に下りました。

 かつての御小屋明神社祭は、「山作り衆」だけで行ったそうです。本には「昭和7年から諏訪大社の職員が参列するようになった」とありますが、現在の、宮司が祭主となる神事がいつ頃から始まったのかは書いてありませんでした。

平成28年御柱祭

 御柱の伐採が一年前倒しになったので、御小屋明神社祭は、すでに平成27年6月5日に終了しています。