御柱祭への道 /

御柱休め(古御柱祭)

 「6年間ご苦労様でした。横になって休んでください」が「御柱休め」でしょうか。古い資料に見えないので、比較的新しい名前と言われています。「休め」では、御柱に対して失礼のように思えますが、さりとて「御柱休み」では「夏・冬休み」のイメージになってしまいます。

本宮の御柱休め 16.4.17

 土日に「御柱休め」を行うと聞きました。時間はわかりませんが、多分8時開始と読んで本宮へ向かいました。

本一の御柱休め
本宮一之御柱

 昔から旧中金子村が上社の御柱を倒す御柱休めの奉仕をしているそうです。そのため、現在でも「中金子村」の旗が並び、産土社である八龍神社の「八龍」を染め抜いたハッピを羽織った集団が待機していました。ハッピの下は、中金子が属する「湖南・中洲」地区の山吹色のシャツです。
 スコップなどの道具類共々お祓いを受けた氏子は、新聞によると200人(延べ500人)とありました。担当柱ごとに分かれて行う堀り出しは全て手作業です。元々倒れないように固めてあるので、初夏のような陽気に大汗をかいていました。

御柱休め 数本のロープを操って倒します。見物人は「派手に倒れた方が」と期待しますが、周囲の木々を傷つけないように静かに進めます。「休め」とあるようにまだ神である木をいたわりながら横にしているようにも見えました。小人数で倒して曳行出来るのは、その重量が6年間の乾燥で推量ですが十分の一くらいになっているためでしょう。

「本一」御柱休め 曳き出しの衝撃で千切れた「本四」と、折れた「本三」の断面はコルク状でスカスカしていました。年によっては倒壊して、これが「占い」となった話もなるほどと思いました。
 土壌と地下水の関係でしょうか、本一は埋没している部分がしっかりしていました。この作業は前宮でも行いますが、距離が離れているので見物は本宮だけにしました。


ビデオ(2′42″)

 本一は最大柱とあって「静々」と横になりましたが、本二は期待通り「豪快」に倒れました。見物に来た甲斐があったというものです。ギャラリーからも歓声が挙がりましたが、「折れなくてよかった」が担当者の胸の内でしょう。貰い先が決まっているようなので、キズ物では価値が下がります。

本一の御柱休め
右から「本二・本三・本四」の御柱

 清祓池の前に、三本の御柱が並べられました。それぞれが建てられた場所の環境が異なっているので、状態も様々でした。

 今日は最大柱である「本一」だけを地車に乗せて八龍神社まで曳行しますが、時間切れで、参道を出発する行列を見送るだけにしました。残りの柱は、明日の日曜日に八龍神社へ運び込むそうです。私事ですが、山出しでは日焼けで顔の皮がむけたので、今日は極力日射の直撃を避けました。ついでながら、数少ない境内の桜は満開でした。

前宮の御柱休め

前宮の御柱休め 一週間後の4月24日は前宮へ行ってみました。前宮の御柱は、地元の「神宮寺・高部・小町屋・安国寺」が引き取るそうです。御柱は抜かれた状態で置かれていました。御柱あっての前宮です。しばらく眺めていたら普通の神社に見えてきました。
 写真は「前宮三之御柱」です。元々なのか乾燥によるものなのかわかりませんが、かなり曲がっていました。一週間後は「里曳き」です。「新」前宮三之御柱を担当する氏子が下見に来たのでしょうか、土手に座って眺めていました。

平成22年「前宮の御柱休め」

 平成22年4月17日は、明け方にかけて季節外れの雪が降りました。朝は、起きてビックリの15cmでした。すでにノーマルタイヤに替えていたので、慎重策を取り「もういいだろう」の10時過ぎに前宮へ向かいました。すでに「前三」と「前四」は横たわっていました。風が冷たくマウンテンパーカーを羽織ってきたのは正解でした。

御柱休め「前宮一」

 「前一」はロープをかけている最中でした。朝8時から神事・作業と続いている中金子の皆さんには申し訳ないのですが、絶好の“いいとこ取り”のタイミングでした。
 6年前に見た「本宮の御柱休め」と違い、小型ショベルカーで御柱の周囲を掘り、後はロープ3本であっさりと倒されました。


ビデオ(2′14″)

 次は「前二」です。前宮の御柱休めは初めてなので、「前一」もそうでしたが、倒す方向がわかりません。LCVのクルーがすでにカメラをセットしているので、「この側にいれば間違いない」とその右に陣取りました。

 御柱に掛けた左右の綱のバランスで倒す方向を調整するので、“現場監督”が指示用に水平に延ばした両腕(手)が案山子(かかし)に見えます。ゆっくり倒されては、ビデオで撮る意味がありません。わがままギャラリーの“悲痛な願い”が届いたのか、最後は豪快に倒れてくれました。根元が腐っているのは、「水眼川」が御柱の際を流れているせいでしょう。これで、総ての御柱が横になりました。
 御柱休めについては今以上のことは紹介できませんが、地元の『長野日報』に「曳行路が未舗装の時代には、丸太をコロにして運ぶ地ゴロ方式では危険を伴い、事故も起こった」「前宮の御柱は御幣だけ外して八龍神社へ納める」とありました。