平成19年の秋に葛城の博西神社(はかにしじんじゃ)を訪れましたが、参拝記が書きかけのままで行方不明になっていました。ふとした折りに「奈良・葛城・丹」などのキーワードによって“この時”が思い出されると、今でも社殿の鮮やかさがよみがえってきます。そのため、記憶違いがあるのを承知で新たに書き起こすことにしました。
予定していた高天彦(たかまひこ)神社参拝ですが、何かの行事があるらしく、駐車場が軽トラと乗用車で満杯になっていました。この神社を含めた葛城古道はすでに歩いていたので、断念し、何かないかとガイドブックを開きました。時間と距離を考慮する中で、国史跡「二塚古墳」を含む古墳群に目を留めました。
地図に沿って一巡したので、離れていますが「北花内大塚古墳(飯豊天皇陵)」で古墳探訪を終わらせることにしました。その途中にあったのが「博西神社」でした。
国重要文化財とある本殿に惹かれたのですが、ガイドブックの地図は多くの道が省略されています。巡り巡って、ようやく博西神社の鳥居を目にしました。
この時期では、諏訪では霜と霜柱が日常となっていますが、奈良の畑には白い蕾の菊がありました。
博西神社の境内にある、新庄町教育委員会が設置した案内板から抜粋しました。
案内板に「本殿は身舎側面一間の一間社春日造」とあるように、春日神社のお膝元・奈良県では、春日造は全県で見られる一般的な社殿です。それでも、ご覧のような丹に塗られ、しかも二棟も並んでいますから新鮮に映りました。
鳥居や諸々のものが邪魔になって全景が撮れないので、本殿の横に廻ってみました。しかし、その“代償”は大きく、重なった本殿となってしまいました。
当時のデジカメは電池の保ちがわるく撮影枚数も限られていたので、“倹約”して三枚しか撮りませんでした。その後、何回もHDから消去しようとしましたが、その度に「博西神社の色」が思い止(とど)まらせました。これで、ネット上に、鮮やかな色をまとった博西神社として常駐させることができました。