「鹿教湯」を「かけゆ」と読むことは、長野県人として知っています。しかし、その名前が付いた温泉は、東信(※東信州)のどこかにあるとしか言えません。調べて、旧丸子町で現在は上田市と知りました。
地図を眺めると、三才山(みさやま)トンネルを使えば、松本市に極めて近い場所です。予定していなかった松本の三峯社に寄ってから、諏訪に帰るコースと決めました。
宮川神社の境内にある三峯社をカメラに収め、ついでなので、近くにある諏訪形諏訪神社を参拝して鹿教湯に向かいました。
下調べで知っていた鹿教湯温泉交流センターの無料駐車場に首尾よくたどり着きました。しかし、そろそろ限界かという尿意に急(せ)かされては、まずはトイレです。案内絵図で確かめてその方向に向かったのですが、見つからないまま薬師堂と文殊堂を拝観することになりました。結果として、文殊堂の参集所にある小さなトイレにお世話になることができました。
文殊さまには感謝が一杯ですが、私の目的は三峯社です。しかし、温泉街からは川の対岸という日陰の土地には、カヤの祠は見つかりません。実は「◯◯堂の近く」とだけ覚えていれば直ぐに見つかるという考えでしたから、その「堂」の近辺にないとなると原点に戻るしかありません。もう一度案内絵図の前に立つと、◯◯は「月見」で、文殊堂とは逆の、駐車場のすぐ山手でした。
もうすぐ昼時という気温が上がった坂道に汗ばみながら尾根上を目指すと、「月見堂」が現れました。堂と言っても東屋ですが、その近くにあるという情報なので左方の尾根筋を仰ぐと、…これぞ三峯社と言う、事前の調べで見馴れたお仮屋がありました。
温泉街が入るアングルで撮ったのですが、これでは三峯社がどこにあるのかわかりません。◯印を付けたのがそれですから、温泉街を見下ろす絶好の場所に鎮座していることがわかります。
“足”までワラ(カヤ)をまとっている祠ですが、直近で見ると、暗赤色に塗られた鉄製であることがわかります。
「失礼します」と断ってから、左右に分けられた覆いの間から覗くと、ご覧の木札がありました。右には新しい神札が倒れています。「御眷属拝借之札」でしょう。
現在は鹿教湯温泉ハイキングコースの一スポットとして紹介されている三峯社ですが、多くの三峯社が大社の境内に移転させられている現状を見ると、今でも原位置にあるという貴重さがあります。
三峯社の上方約50mには、稲荷社があります。三峯社とは相性がよくないとされるので、これだけ離れているのも納得できます。ただし、単に祠を設置する場所がないだけ、という理由かもしれません。
この稲荷社は祭祀が絶えているようで、幣帛が朽ちかかっていました。
次は、松本市の岡田にある三峯社です。鹿教湯には日帰り温泉施設もありますが、三才山トンネルを使うと510円の出費になるので諦めました。
これを書いている時に資料の確認をしたら、鹿教湯温泉にも諏訪神社があることを知りました。んー。