「愛・鬘」は、勝手神社石鳥居の案内板に「うけ・のり(の)」と読み仮名が振ってあります。しかし、「のり」では漢字変換の候補がありません。「手書き認識」で探すと、訓読みが「かつら」で、音読みが「ばん・まん」とわかりました。これから仏具の「華鬘(けまん)」を連想しましたが、…関連はなさそうです。「当て字もいいところ」でしょうか。
上掲の『甲斐国志』には「【愛】は【受】かもしれない」とあるので、それを抜かした「鬘命」で検索すると、いずれも全国の勝手神社に絡んだ「愛鬘命」と「受鬘命」を表示します。試しに個別で検索してみると、「愛」の方が多いという結果になりました。しかし、多数決で「愛が正統」と決めつけることはできません。
いずれにしても、「鬘」はモニター上では20%以上も“間引”されるウソ字です。このサイトの標準16pxの字でも5本省略されていましたから、ブログの小さな字では全く読めないでしょう。因みに、鬘は「髟+日+四+又」の“合成字”です。──愛も受もこれ以降は出現しませんから、その詮索はこれで打ち切ります。
(お待たせしました)ここで、ようやく勝手神社の境内です。大きな石碑の「由緒」には、「かつては、天禄の鳥居正面の小山に本殿があった。塩川の水害は徳川時代に激しく、鎮座の小山は自らを激流にけずらせて氏子の家々を守り、遂に平地になった」とありました。
左は、上写真では手前の「高さ1.8m弱」というミニ鳥居の「貫」です。この「天禄元年(970)の鳥居」は『国志』にも銘の詳細が書かれており、「勝手神社石鳥居」として山梨県の文化財に指定されています。
傍らにある案内板を読むと、大変ドラマチックな内容を含んでいました。長文なので「抜粋要約」して紹介します。
県指定の文化財ということで勝手神社に来ましたが、こんな経緯があったとは驚きました。それにしても、石造物の年代特定は難しいようです。長野県下諏訪町にある青塚古墳の「大塚大明神位」碑も「宝亀四年(773)」ですが、永久に確定することはできないでしょう。