ネットの情報で、小野神社も御射山祭が行われていることを知りました。しかし、ネット地図の幾つかを調べてみましたが、ズームを最大にしても「御射山社」が表示しません。
御射山社が見つからなかった理由は、現地へ行ってわかりました。
実は、小野神社の御射山は、霧訪山(きりとうやま)の麓にあると思い込んでいました。その先入観から国道の左(西)側を探していたので、見つからなかったのは当然のことでした。
これを見ると、小野神社−御射山社間が1.46km・矢彦神社−御射山社間が1.33kmで、ほぼ等距離です。ところが、方角は正反対ですから、両社が意識して御射山の地を設定したことは間違いありません。端的に言うと“小野神社と矢彦神社は仲が悪かった”そうですから、この地図を見ても、何か納得してしまいます。
矢彦神社の御射山祭を見学した帰り、最近の風潮で例祭日が土日に移行したケースが多いので、今日が小野神社の御射山祭である可能性を思いました。
小野神社の駐車場から境内に入ると、社務所の前辺りに何かを燃やす煙が漂っています。境内には軽トラを含む何台かの車が駐まっていますから、境内の清掃作業とわかりました。
タイミングを見計らって一人のお年寄りに「御射山祭はいつありますか」と尋ねると、「26日の夜」と言います。今日は23日ですから取りあえずその場所をということで再度尋ねると、手持ちの紙片に御射山社までの略図を書いてくれました。現地の詳細がわからないので徒歩が無難と思いましたが、昼食を食べ損ねて空腹状態だったので、結局は車に乗り込みました。
駐在所が見えたら「右へ」と聞いていましたが、その道は民家の生垣が車の埃を払ってくれるような狭い道です。後悔しましたが、もう前進するしかありません。踏切を渡るとやや広くなってホッとしましたが、狭い道であることは変わりません。
話にあった「水を作る会社」は、ミネラルウォーターを製造する「信州エコプロダクツ」でした。御射山社とはまったく関係ありませんが、ランドマークとしては十分な存在価値があります(上写真では左端の建物)。ここから道が広くなったので、日曜ということもあって遠慮なくその前に路駐し、歩いて御射山社へ向かいました。
教えられた通りにその会社の敷地を回り込むと、鳥居が見えました。その鳥居から下方へ延びる道を見て、それが昔からの参道とわかりました。
なかなか風情がある眺めです。御射山社をここに造ったのも頷けます。ところが、「…」は後述とします。
鳥居の脇にある標柱に、「御射山神社」の案内が書かれていました。
鳥居をくぐり、貯水池を脇に見て林の中に入りました。平地が終わって坂道が始まった時点では、この暑さなので、どこまで登るのか不安でした。しかし、それを思う間もなく、社殿が見えてきました。
「御射山神社」の社額を確認してから参拝しました。社殿は覆屋兼拝殿と思われますが、内部はまったく見えません。
左のテントに「信濃国二之宮小野神社」とあり、諸々の物品が置かれています。御射山祭での接待用に設営したのは間違いありませんから、後は祭日を待つだけと見ました。諏訪大社の御射山祭と同じで、小野神社の御射山も年一回だけの賑わいと想像しでみました。
翌年の8月26日に行われた穂屋祭で、本殿を拝観できました。まだ神事前なので、注連縄などの飾りはありません。
前出の鳥居を、ズズーッと後退した場所で撮ってみました。北小野上水道の貯水池があり、事業所があり、それらを傾いたフェンスが囲っています。後で知ったのですが、背後には「信濃変電所」があり、大きな鉄塔と広大な変電施設があります。御射山の神は、この変わりようにさぞかし驚いていることでしょう。
ここへ来るまでに尾花社に気が付かなかったので、車に戻らず、所々に提灯が設置された本来の参道を下ってみました。
先ほど通った道に合流しました。車へ戻るということもありますが、尾花社はこれより上にあると判断して上り直すと、先ほどは仰いでいた道が、今度は右側の休耕田や畑の中に見下ろせます。
山側を眺めながら進むと、その名が入った提灯が見えました。尾花社です。
念のために石の祠を観察しましたが、銘はなく社名も建立年も不明でした。「尾花」と言えば「ススキ」です。御射山祭に使われるススキをこの辺りで調達したと考えましたが、後の調べで、その通りとなりました。
大きさが比較できるように下部だけを撮った標柱に〔伝説 尾花石〕として「この石は、安産の守り神として最近まで妊婦が生卵を供え、安産を祈願したと伝えられる」と説明があります。
さっそく「石はどこだ」と見回しますが、それらしきモノは…。ふと視線を落とすと、目の前に納得の石がありました。何のことはない、ほぼ埋もれた「割れ目石」がそこだけを露出させていました。
しかし、男では推し測ることができない女性の出産です。命を落とす可能性もある女性にとっては、頼めるものは何でもと、このような石でも祈願の対象になったのでしょう。
カーナビで確認すると、上に続く道は、変電所から「勝弦峠」への道に合流しています。帰りは、その快適な道で戻ると、小野神社の前へ出ました。
この地の御射山社は意外と知られていないようなので、参考になるように幾つかの資料を探してみました。
北小野地区誌編纂会『北小野地区誌』に載る〔小野神社〕から、「祭事・神事」の一部を転載しました。
同章の「四 境外社」から抜粋しました。
尾花社の祭神については、「ススキ→草」で、八百万の神から草奈井姫命を探し出したような匂いも…。
塩尻市誌編纂委員会編『塩尻市誌 第三巻』から〔小野神社の神祭事〕を転載しました。
御射山社の例祭「穂屋祭」については、以下のリンクで御覧ください。