諏訪大社と諏訪神社トップ / 各地の神社メニュー /

倭文神社 山梨県韮崎市穂坂町

 長野県神社庁のリストには「倭文神社」は載っていません。その長野県民の一人である私には馴染みがない神社とあって、韮崎市の倭文神社を「わぶん」と読んでしまいました。それは「しとり・しずり」などと呼ぶそうですが、『一太郎』は「しとり」だけを「倭文」に変換しました。

倭文神社参拝 21.5.11

 韮崎ICから(地図では)金峰山に向かって「延々と登る」のが実感の「昇仙峡ライン」です。その県道27号沿いに倭文神社の玉垣があり、前が穂坂小学校と駐在所という極めて明快な場所でした。
 参道入口にあった案内板です。

祭神 天羽槌雄(あめのはづちお)命・天棚機(たなばた)姫命

由緒 甲斐国所在の延喜式内二〇社の一。甲斐国志には倭文神社降宮明神とある。穂坂総社といい、郷中で最も格式高い神社であった。倭文はしずおりで、麻などの繊維を赤・青などに染めて横糸として織った古代織物である。穂坂御牧(みまき)が栄えたころ、御牧の役人の妻や娘などが中心となって織った精巧な織物で、これらの女性たちが技芸の上達を祈るために天羽槌雄命・天棚機姫命を祀ったのが、この神社の起りである。降宮はおりみやで、織宮を意味する。(後略)

倭文神社 穂坂の総社とあって、広い境内です。
 随神門の部材に、定期的に塗り替えているのか、鮮やかな青色が見られます。同色の衣をまとった神像に会釈してから、神楽殿と拝殿に向かいました。


倭文神社本殿

倭文神社 本殿の大棟「箱棟の鬼板に鬼の面」は、山梨の神社で多く見られます。驚くことはなくなりましたが、それでも、一時は見上げてしまいます。しかし、「なぜ山梨県」なのか未だに不思議です。


環状列石 写真だけを見れば「環状列石」です。本殿の瑞垣内に見つけましたが、径1.5mの石の配列には注連縄はありません。
 左下が柵の内角に当たる礎石ですから、ぎりぎりですが、この列石を瑞垣内に取り込んだのは間違いありません。中心に据わった石に何か意味があるように見えますが、首を傾げるしかできませんでした。

 本殿の後方・境内の際に石碑があるのに気が付きました。「山梨県指定天然記念物・朝鮮五葉松」とありますが、すでに枯れて久しいようで「跡」になっていました。
 境内を一巡りすると、「倭文神社の古宮(古社地)がこの先にある」という情報を持っていたので、(神様には失礼な表現ですが)興味の対象はそちらに移りました。

降宮明神

 以下は、自宅に戻ってから調べた、山梨県なら「この本」という『甲斐国志』です。倭文神社の当時の名称「降宮(ふりみや)明神」を抜粋しました。

〔降宮明神〕 宮久保村に鎮座す。柳平・三ツ澤三村の産神なり。(中略) 山宮の地柳平村境に在り。(中略) 社記云、祀所天羽槌雄神・天棚機姫神にして本邦衣服の祖神なり、州俗(しゅうぞく※土地の風俗)織女と称して七夕に羣參(群参)す、又産婦の守護神とも称せり、古棟札に穂坂総社倭文神社降宮大明神とあり、(中略) 七月七日神子神楽、(中略) 祠後の松樹大五圍(囲)なるべし、中間より数幹に分かる、御腰掛木と称す。又五鬣(葉)松の三圍餘(余)なるあり、(中略) 又神明・御崎・原山の祠あり、(後略)
甲斐叢書刊行会『甲斐國志』