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「木下のケヤキ」と御社宮司社 上伊那郡箕輪町木下

御社宮司社

木下御社宮司社 「明治10年」とある、長野県立歴史館蔵『中箕輪村 六分一丁略図』の一部です。箕輪南宮神社の周辺を眺める中で、御社宮司社を見つけました。
 現在の地図には載っていませんが、村境の川と現在の国道153号線である大道の曲がった部分から、その場所が特定できそうです。

 Googleマップで衛星写真を開くと、その二点が一致する場所に傘を広げたような大木があります。そこを御社宮司社の杜と考えたところで、かつて、南宮神社の「御鹿(おしし)奉納神事」を見学した際に寄っていたのを思い出しました。改めて写真のタイムスタンプを確認すると、平成24年です。「もう十年も経ってしまったのか」と、思いがけないタイミングで「光陰矢の如し」を実感することになりました。
 気を取り直してストリートビューに切り替えると、記憶にはありませんが、道に沿って祠や石造物が並んでいます。その中に御射宮司社があると睨みました。

御社宮司社探訪 '22.8.2

 ケヤキの大木を保育園の運動場の柵越しに見て、反対側にある木祠二棟と各種石造物を確認します。

木下石造物群

「神社」 外観から確率が高かった祠ですが、その前に立つと秋葉社と稲荷社でした。次に、庚申塔を除く石造物を順にふるいに掛けると、「神社」だけが読める石祠の残欠が残りました。しかし、この状態では御社宮司社と特定できません。ここには、絵図に載る規模の神社は存在しないと考えました。

木下のケヤキ

木下のケヤキ 保育園の運動場と見ましたが、自由に入れるので、今は公園でしょうか。その端に寄って、初めて全景がカメラに収まりました。
 注連縄が掛かっているので神木に違いありませんが、その周囲を探しても神社跡と言えるものもありません。案内板も無いので、写真を何枚か撮って引き揚げるはめになりました。

御社宮司社はどこに

【御射宮司社】雑社 同(※木下)耕地にあり、東西二十六間、南北十九間余面積三百十六坪。社地内に老欅あり、囲三丈五尺。祭神不詳。或は諏訪の假社と云。祭日八月九日。
長野県『長野県町村誌』〔中箕輪村〕

御社宮司社 左写真は、南宮神社の本殿脇に建つ御社宮司社です。『長野県町村誌』に載る御社宮司社は一社のみで「地籍木下・広い社地・老欅」という内容ですから、この御社宮司社が相当します。ある時期にここに移転したと断定しました。

みしゃごん寺のケヤキ

 『箕輪町誌』を読んで、「木下のケヤキ」は昭和40年2月25日指定の長野県天然記念物と知りました。

みしゃごん寺のケヤキ
 芝宮のケヤキともいい、樹高二五〜三〇m、樹肌に隆々とした力瘤が膨れ上っている。地上八m程のところから力強い太枝が四、五本でており、更に上部は四方に一〇m〜一五mの枝を張っている。樹令千年といわれているが、樹勢は旺盛である。
 現在は双葉保育園の園児の遊び場となっているが、昭和初期には北側にほこらがあり、鳥居もあり。みしゃごん寺のケヤキといった。当時には現存するものより半分程の太さのケヤキもあった。 (後略)
『箕輪町誌 自然・現代編』〔植物〕[巨樹]

 別称の「みしゃごん寺のケヤキ」ですが、「みしゃごん寺」が「みしゃぐじ・御社宮司」由来であることがわかります。その傍らにあった御社宮司社ですが、その後の消息には触れていません。

検地縄と御射宮司社

 「箕輪町 御社宮司社」で検索した際に、デジタルブック『箕輪町誌』の一部を表示したので、書き加えてみました。

検地「御社宮司社」 ここでは、サイト『長野県 箕輪町』〔デジタルアーカイブコーナー〕にある『箕輪町誌 歴史編』の〔近世〕から、「『信州伊那郡 天正十八庚寅年青表紙検地帳写』、これは寛永六年…」の一部を切り取ってみました。
 読みやすいように、赤枠内のみをテキスト化しました。「御検地縄は村々国中庄屋に下され、是を村内精(浄)地に納め、御社宮司社と称す也、年々春秋社日に之れを祭る」