(引き続き前回と同じプロローグですが)明日は気温が上がるという予報に、このところ暖め続けていた松本市の三峯社巡拝を一気に進めることにしました。取って返して辰野町の三峯社も、と欲張りました。
先月のことですが、林の集落で三峯社が二社確認できたので「この辺りにはまだありそう」と考えました。
周辺をストリートビューで走ってみると、林の北側に当たる「南小松」に、道路に正面を向けたものがありました。
形ばかりですが、杉葉で囲ってあるので、祭祀者(講中)が本来の姿(仕様)を残しているのがわかります。
ただし、画像は4年前のものなので、現在もこの姿を継続中なのかはわかりません。
「まだ杉葉で囲っている姿が見られるだろうか」と、南小松の集落を目指します。「アルプス展望しののめのみち(東雲の道)」から右に折れると、今までの高規格道路とは格段の時代差を感じる道になりました。空き地があります。ストリートビューの下見で路駐は無理と考えていたので、それを墓地の駐車場と決めつけ、そこから徒歩で向かいました。
かつての牛馬がすれ違った道に舗装を施したような道ですが、塀越しに望めるよく手が入った庭木が旧家のたたずまいとともに風情があります。
左へ曲がる道にその先が見通せないので、否応なく白さが際立つ蔵に目が行きます。その手前の一画に、三峯社はすっくと立っていました。石柱なので安定感があります。
四年前の写真と変わりない祠の正面に立つと、扉の左右に、[∴]状の穴が空いているのに気が付きました。「“三峯”社を表している」と見ましたが、見当違いの可能性も…。また、「杉葉は、背後にある木から調達した」と想像していましたが、確認するとイチイでした。
来た道を見通すと、突き当たりの橋までが微妙に曲がっています。道は拡幅しても、江戸時代から不変の形状ということでしょう。その中間に南小松公民館があり、「南小松」の石柱と火の見櫓、さらに道祖神などの石造物が密集していますから、この辺りが集落の中心ということがわかりました。
国土交通省『国土画像情報』から、昭和23年の写真をダウンロードしました。
基本的には当時の集落形態がそのまま残っているので、旧家も多く存続していることが納得できます。
これに三峯社の鎮座地を重ねたら、三峯トライアングルが形成しました。三社に相互関係はありませんが、前出の[∴]が再登場したことになりました。