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現存する最古の木造鳥居 山梨県山梨市 大井俣窪八幡神社

 当初は「木造では最古の鳥居」でしたが、下記に出る「現存する最古の木造鳥居」をタイトルに頂きました。

 公式サイト『大井俣窪八幡神社』では、冒頭に「わが国最大の十一間流造本殿、現存する最古の木造鳥居」を謳っています。年表〔窪八幡と武田信虎、信玄〕では「永正11年(1514)12月8日、鳥居が建てられる(用材は永正三年に伐採されている)」とありますから、これは必見です。

五百年前の木造鳥居拝見 '22.10.15

大井俣窪八幡神社の鳥居

 これが重要文化財の鳥居です。最奥に小さく写っている檜皮葺屋根が大井俣窪八幡神社の総門ですが、今回は「その神社の紹介は別の機会で」としました。

大井俣窪八幡神社「木造では最古の鳥居」

大井俣窪八幡神社 逆方向で、突き当たりが笛吹川の堤防です。その上で動き回る人に目を留めると、小竹(笹)を立てています。終わってみれば、四本で囲い注連縄が張られていました。
 三々五々戻ってくる男性の一人に声を掛けると「明日例祭がある」ということでしたが、その結界の役目は聞き逃しました。

 鳥居脇にある「山梨県教育委員会・山梨市教育委員会」連名の案内板『重要文化財 窪八幡神社鳥居』です。

 神社本紀の記録によると、天文四年(一五三五)、武田信虎によって四十二才の厄払祈願のため鳥居と石橋が建立されたとあり、現在の鳥居はこの時に再建されたものと考えられる。
 親柱の前後に面取り角柱が立ち、親柱と控柱間は上下二本の笠木つき貫を通して連結され、いわゆる両部鳥居または四脚鳥居と呼ぶ形式となる。
 木材はそのほとんどに目の混んだ杉が使われており、親柱を連結する貫だけは節の多い松が使用されている。
 高さは約七、四一メートル、横幅が広く約五、九一メートルである。親柱は太い円柱で直径約五五センチメートルあり、自然石礎石上に内側に転び(傾斜)をつけて立てる。柱頂には台輪がつき、島木および笠木を受ける。島木、笠木には軽快な心反りがあり、笠木上には屋根板を張り銅板葺とした屋根をかける。島木下方の貫は柱を貫通し、両端の鼻は長く外方に突き出している。島木と貫の中央部には額東を立て、額束正面に「大井俣神社」と文字金箔押しの木製神額が掲げられている。
 この鳥居は、均整のよくとれた形のすぐれている木造鳥居であり、一般的には立替の頻度が多い建造物のため、造立年代が室町時代まで遡る例は珍しく、現存する木造鳥居のなかで最も古い遺構として極めて価値が高い。

大井俣窪八幡神社「最古の鳥居」 『大井俣窪八幡神社』の「永正十一年」とは21年の差がありますが、「神社本紀によると」では、そうなるのでしょう。
 柱の中間部分に継ぎ目があるので、下部は新材に交換されたことがわかります。
 その上部を仰ぐと、褐色に焼けた肌と言い表面の凹凸やひび割れと言い、いかにも五回もの世紀を経たという履歴を思わせます。しかし、当然ながら「露天の木造物がそこまで保つか」という素朴な疑問が起こります。そうは言っても国がお墨付きを与えた重要文化財ですから、私が反論の口を出しても…。

三峯社

加々見医院
三峯社

三峯社 鳥居から神社へ戻るときに、道脇にキノコの破れた傘にも似た石を見ました。祠の屋根と気が付いて覗き込むと、「三峯…」が確認できたことから三峯社とわかりました。
 その写真を撮ろうと道の反対側に移ってしゃがみ込むと、その背景に時計塔があるのに気が付きました。改めて見通せば、駐車場を挟んだ奥にあるのは白壁に赤煉瓦が映える医院です。ただし、単に敷地の一画を提供しているだけなのか、三峯社との関係はわかりません。
 山梨県の三峯信仰圏がどれほどのものかは勉強不足ですが、私としては初めて御眷属拝借の札を確認したことになりました。